先日、訳あって、佐賀の「祐徳稲荷神社」に参拝しました。
まるで清水寺を朱塗りしたような外観ですね
清水寺が木造であるのに対して、ここはRC造
稲荷五神社のひとつですから、たしかに霊力を感じました
下の写真は本殿の切景
ここは昭和30年代に再建されたということですが、
当時の伊勢神宮の施工会社が設計施工したといわれています
極彩色の世界と伊勢神宮の木そのものの世界、…どう考えても相容れません
稲荷神社では、どこでもあるのですが、奥の宮という山頂まで
登りつめなければ、本当の神意を授からないといわれています
…まあ考えてみれば分かりますが、楽して望んだご利益に授かるなんて
お金を積めば、何でも思い通りになるという金権発想と同じですね
そういう意味で、ヒーヒーいいながら辛い坂道を登りきった者だけに
真のご利益が与えられるというのは、合理的かつ自然の法則に適っています
神社の御札(神札)について、ある霊能者からサジェッションされました
その神社が世間的にどんなに有名であっても
自分の足と手で赴き、自分の手でいただいて持ち帰って
初めてその神社との霊線がつながることができる
それ以外は、何の意味もありませんよ
反って、霊的向上を妨げるだけです、と…
…考えてみると、以前あるヒトが、伊勢参りのお土産代わりに
神宮大麻をお客さんに配っていました。さも自分だけが先駆者のように振舞っていました
その方に訊くと、そういう人物は、文字通りバチアタリです
お客さんの歓心を買うために、伊勢神宮の御札を利用するというのは
霊的に最も卑しいことで、与えられたお客さんも、その垢を擦り付けられることになります
卑しさを感染させて、畜生の世界に囲い込むことになるということでした
損得勘定のない世界では問題はないけど、霊的につながることはないので
もし本当に霊験をいただきたいのなら、ご自分の意思で直接縁をつなげる必要があります
…ということでした。
その方のいうことは、悉く当を得ていたため、素直に従うことにしましょう
本日はちょっとシュート気味のお話でありました
ホームページはこちらから