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ロハス的商流・経営・営業とは?

 ロハス(Lifestyles of Health and Sustainability)という概念から、いろんな思いの元で、いろんな活動が展開されていますが、日本も米国と同じ資本主義社会ですので、商流の問題を無視することはできません。

 むしろ流通をしっかりと押さえなければ、ロハスは、単なる商売上の小道具に堕してしまいかねません。実際に単なる流行やおしゃれの一部としてしか捉えていない業者やユーザーが多いのも事実でしょう。

 情報を発信する側(商品を供給する側)そのものの無知に由来する弊害が圧倒的に多いし、最も責任が重大といえると思います。とはいったものの、ロハスという概念が、多くの人々の現実の生活に浸透するには、地道な活動だけでなく、マスメディアの力は欠かせません。

 地道な活動は、ある意味一地域内でのコンセンサスに限定されるといっていいと思いますが、解放区を作って自給自足生活をするわけではありませんので、やはり一地域に収まることなく、地域間交流か、あるいは情報や商品を供給する立場から、ボーダーレスで呼びかけなくては、自立的な生活を実現することは困難だと思います。

 ラジカルにいいますと、ロハスとはひとつの想いの形です。だからその形を想いで充満させたままの状態で、供給と需要が構築されなければ、意味を成さないということです。

 “地産地消”という一流通形式は、たしかに有効だと思いますが、これは農産物に限られた世界です。また“地産地消”の産物としての商品は、すべてネームタッグが添付され、遡及認証が可能でなければ、無意味であることはいうまでもありません。これはロハスの最低限の認識の一部分でしかありません。

 そこで現代の圧倒的多数の生活様式から考えると、インターネットによる情報発信と情報検索、そしてネット売買は、ユーザーの選択の自由度を限りなく可能にしました。自分が望むものを入手するのは自己責任です。詐欺に引っかかるのも自己責任です。

 でもそういったリスクを考慮しても、さらに多くのメリットを得られるのが、インターネットの効用だといえると思います。

 その視点から考えることを避けてはならないと思います。ロハスの実践や運動は、情報の共有から始まりますが、物の交換も、それを通して初めて確実になると思います。

 ロハスという言葉は、ある意味ロハスという“ブランド”として例えると、問題はより容易に見えてくると思います。ただしそのブランドには、そのブランドを実践している人しか、その流通に関わってはならないという、ある意味極めて排他的な不文律があることを忘れてはならないのです。

 地産地消にしても、そこで出荷される農産物がまずくて、生産管理がまともにできていなければ、その土地で消費されることは絶対にありえませんし、あってはならないと思います。

 また流通のあり方として、たとえば青森県で地元のふぐを食べましょうといって、誰が購入するでしょうか? 鹿児島県で採れたりんごを食べましょうといって、青森県のりんごが流通しなくなるでしょうか?

 よくマーケティングの極論として、北極でアイスクリームを売り、砂漠でサウナを売るという言葉がありますが、これは究極の“地産地消”といえるでしょう。

 ロハス的な商流とは、一般的な既存の商流に「ロハス」という言葉を乗せて、商品を動かすことではありません。でも実際にはこういった安直で無知な方法が当たり前のように通用しているのです。

ロハスや本物というひとつの想いは、その想いがユーザーの手に届くまでに、何ひとつ引かれることなく、また足されることもなく、多くの共感の輪を広げながら実現するものでなくてはならないと思います。

 それゆえロハスも含めて、エコロジーや本物をコンセプトにする商流は、既存の商流に乗らない、乗せない独自の流れを構築しなければ、その意志を実現することはできないと断言できると思います。
(つづく)

http://www.h3.dion.ne.jp/~yamaiti/
by MUKUZAIKENKYU | 2008-03-23 11:22
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