日本人が日本人であることに気付くときとは?

 やはり日本にあって、日本人の肌にぴったり来る家とは、梁や柱が室内から見える(現し仕様といいます)木によって建つ家しかありません。

 日本人の特性は、自然を大事にします。しかしながら村根性の強い民族性のためか、一歩領域外に出ると、自然はおろか、人や社会に対して無関心になる傾向があります。
 これは村根性だけでなく、周りを海に囲まれ、目に見える国境がないため、いわゆる“際”に対する意識が薄弱な点も強く影響していると思います。

 とはいえ、米国や中国などの大陸にある国は、国内の治安や環境に対して無関心な傾向があることも否定できません。これが「大陸的」と呼べるかどうか分かりません。

 家庭から出る洗剤や廃油は、下水に垂れ流し。それはやがて河川を汚染し、近海を汚していきます。日本の企業は、その際たるものでした。チッソの水俣病やカネミによるPCB混入オイルその他諸々の企業による「公害」が発生して、今でも被害者は後遺症に悩んでいます。
 企業という村は、自分の村内はきれいにするものの、自分のところで作ったゴミは平気で外に捨てます。

 日本でこんな情けない現象が発生し始めたのは、敗戦後の高度成長期からです。

 それまでの日本は、良くも悪くも地域内のコミュニケーションは程よく維持されていたと思います。向こう三件両隣。町内会。頼母子講。消防団。影の意味での村八分。

 昔は家を建てるときには、そこの住まい手は、その業務に従事する人たちを丁寧にねぎらうことが当たり前でした。お茶やお菓子を出したり、上棟のときには、上棟式に使った山菜や魚を棟梁に差し上げたり、近所には挨拶代わりに餅まきをしたりと、大いに氣を使うことは、当然の礼儀でした。

 今はどうかというと、2000年以降、特に顕著になりつつありますが、上棟式そのものをしない。もちろん餅まきなんか以ての外。近所への挨拶は、入居してから考える。
 これじゃ、神社の神主さんや餅屋は、商売あがったりです。縁起担ぎは、私も好きではありません。何の意味もありません。でもこれが人とのコミュニケーションのための方便であるなら、ぜひとも実行した方がいいとも思います。

 話を元に戻しましょう。
 日本人は、「自然の恵み」というものに敏感です。だから道祖神なども含めて、山の神、海の神、水の神、大地の神等々、自然現象の背景に神の存在を見て来ました。
 これをアニミズムという言葉で一括りすることは正しくありません。アニミズムは、仏教やキリスト教と比べて、原始的というわけではありません。確かに未分化な点は否めませんが、それは民族や人の心性を表しているからです。

(次に続く)
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by MUKUZAIKENKYU | 2005-11-11 12:29 | 木 無垢材 自然
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