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敗戦の日(終戦記念日)にいつも思うこと

 先の太平洋戦争によって犠牲になられた一般軍人、そして徴兵されて戦死した学生たち、爆撃によって亡くなられた甚大な市民に、哀悼の念とともに心から冥福をお祈りいたします。 

 私たちは多くの軍人や市民の犠牲によって、今日の平和な日々を謳歌できていると、心から感謝しなければならないと思います。

 でもそのときの為政者や戦争指導者にではありません。戦争の開始から終焉までに、彼らの連続する判断ミスによって一般兵士や市民に犬死を強いた事実があります。

 いわゆる戦勝国によって決め付けられた「戦犯」という観点からではなく、自国を戦争に導いた責任と敗戦までに侵した判断ミスについて、何ひとつ国民に謝罪することもありませんでした。

 東京裁判で裁かれ処刑された「戦犯」は、もし生かされていれば、その指導した立場から国民に謝罪しなければならなかったはずです。

 ときの為政者や戦争指導者は、一般兵士や国民と同じように祀られることはありえず、当然同じ神社に合祀されれば、それまでそれこそ国民や家族のために犠牲になった方々の意志を踏みにじることになります。

 だから「戦犯」であろうとなかろうと、戦争指導者や為政者は、謝罪をしないかぎり戦争犠牲者と同じ場に入ることはできません。

 残念ながら彼らの多くは占領軍によって処刑されてしまいました。彼らの言葉を聴くことができなかったのは残念ですが、もし彼らに指導者としての自覚があるなら、「靖国」に合祀されることなどとても望んでもいないはずですし、指導者としての倫理観が許さないはずです。

 私は敗戦して多くの犠牲を出してしまったとしても、それは勝った時でも同じことです。犠牲者を出すことはその家族の柱を奪うことにつながります。それを分かっていて、あえて戦場に出すのですから、戦争指導者はつねに喪に服す十字架を背負う覚悟が絶対不可欠の条件です。

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 太平洋戦争では、東南アジアやオセアニアでは戦死者より餓死者や病死者の方が数倍も多かった。兵站の根本的ミスにより武器弾薬食料の供給ができなくなったためです。

 沖縄では軍による市民の自決強制ばかりでなく、市民が避難している壕から軍人が追い出すこともありました。士気の低下と指揮命令系統の破綻。

 特攻作戦という、生身の人間を爆弾という消耗品と同列に扱う非人間行為を選択しました。国民という人間こそが国のかけがえのない財産であることを忘れ、目に見えた負け戦をズルズルと引き延ばし、より多くの犠牲者を出したこと。

 敗戦が決定した後に、満州に展開する関東軍は移住していた国民を保護することを放棄して、軍だけ抜け駆け撤退したこと。

 軍備や情報収集のお粗末さについて言及しても仕方ありません。今日の日本がそのとき犠牲になられた方々のおかげで存在できていることは否定できませんが、死ななくても済んだ方もたくさんおられることも忘れてはならないでしょう。

 だから一部の無思慮で軽率な「戦争美化」を試みる輩には、歴史を語る資格もないといえるでしょう。 

 安倍内閣から、衆議院で自民党が圧倒的多数を取った途端に「改憲」をタイムスケジュールに載せようとする動きがあります。

 憲法はたしかに国家の骨格を成す基本理念ですが、それは対外的な国家観を現すのではなく、まず何よりもその国民の保護と育成こそが最優先されて現されるものでなければ、意味をなさない代物に堕してしまうのではないでしょうか。
by MUKUZAIKENKYU | 2007-08-15 09:32 | 木 無垢材 自然
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