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「超」職人になろう

日本の住まいを良くする無垢材研究会 
 
                     住まいの木案内舎ゲインのゴトウです


 のどかな朝を迎えました。気温は、すでに夏日状態ですが、風が心地良い朝です。

 火曜から、不覚にも引いてしまった風邪は、何とか収束に向かっていますが、歩くと、体の芯が、いまいちしっかりしません。

 昨日は、栄養をつけるために、友人を無理矢理誘って、近くの焼き鳥屋に行きました。しかし普段の会話でいうと、私の返答が一歩タイミングが遅れてしまう。なぜか、・・・

 普段より耳が遠くなっていることに気が付きました。相手の言葉が、雑踏の中では遠く聞こえてしまうのです。鼻をかむのは仕方ありませんが、そのために聴覚が低下してしまっていました。

 今朝も、昨日よりはだいぶ良くはなっていますが、何とか今週中には完治させたいものです。


 ひとりでできることは、物理的にはある程度までできても限界があります。でもひとりでも、やらなきゃならないことがあります。

 ひとりだからできることがあります。またひとりでは、どうにもならないこともあります。

 二人いると、じゃあいろんなことができるかというと、ひとりよりはマシというレベルでしょう。確かに仕事の効率が上がりますが、創造的なレベルには程遠い。

 ひとりであること、または零細企業であることは、客観的な事実だけど、それでも頑張って成功と呼ぶに相応しい結果を出している個人や零細企業もたくさんいます。

 彼らのどこが、結果を出せずに悶々としているもう一方の「未成功」の人々と違うのでしょうか?

 それは先ず第一に、成功者は例外なく、自分の腕=技術や知識が、圧倒的に優れていることです。キャッチコピーにばかりかまけて、本当の力を身につけていない「ネット業者」ではありません。

 次に、その自分だけが持つ力を生かす方法を知っているということでしょう。そのためには、ネットは最大の武器になると思います。そしてそこには具体的な本物の存在価値を実証しています。

 ある意味、集団で行動して得られる経験より、はるかに多くの、そして深い見識を身につけています。

 個人や零細企業は、いつも誰よりも「不利」と思える状況下にいることが多い。これは仕方ないことですよね。

 でもだからこそ、「誰よりも苦労も多く、試行錯誤も多い」経験から獲た智慧は、百人が束になってかかってきても敵わないほどの強靭さを持っています。これを、私たちは「超職人」と呼んでいます。


 じゃあ「未成功」の人々とは、智慧の部分で、どこがどう違うのか。多分ほとんど差はないはずです。でも結果に天地の開きがあることも事実。

 その違いは、おそらく自分を客観的に知っているかそうでないかということではないかと思います。

 多くの「未成功」者に、多く共通していることは、話の内容がどこかで聞いたことがある、どこかで見たことがある、ある意味誰もが知っていることを、誰よりも追いかけている印象があります。

 つまりメジャーと呼ばれるような、すでに成功した人や事業を追いかけている。だから結局人真似や物真似の域から一歩も出ない。

 ランチェスター戦略でもいわれますが、 「弱者は強者の真似をするな」。強者の真似をすればするほど、弱者は自らオリジナルカラーを失い、結果強者を陰から支えてしまう肥料のひとつになってしまいます。

 成功した人や企業、あるいはノウハウを公表して、それに相応の有料システムをつけている商売が、ネット上では溢れかえっています。

 多くの同一思考と同一方法の個人や業者を作ることで、いよいよ「未成功」者たちが心から望んでいる成功から遠ざけてしまいます。

 本当の意味で、自分のことを、弱点も長所も、そして心の中身も客観的に知っていると、まず人を同じ事をして旨くいくことがないことを直感的に知っているものです。


 あなたは、ルオーという画家を知っていますか?キリストの肖像画で、とりわけ有名ですが、彼のキャンバスの上にある色は、単色に近いものです。でもその画を横から見ると、塗料が5ミリ以上に盛り上がっていることが分かります。

 色をつけるだけなら、ただ線を引けばいいから、重ね塗りする必要はありませんよね。3色から4色混合しても、せいぜい1ミリから2ミリがいいとこでしょう。

 ルオーの単色に見える色彩の下には、10色以上の色が重なっているそうです。じゃあ結果的に見える色が二三色なら、他の色は無駄で、失敗だったのか。

 キリストを想い、思い続けて、描き、描き重ねてできた一個の色には、既存の概念では言い表せない色が満ちているものです。これを、ある美術評論家は(正確ではありませんが) 「泥の中から、ひとつの色を惹き出す」といいました。

 それが見る人を惹きつけて止まない、見えるものの、見えない何かの力を感じざるを得ない圧倒的な表現力となるのでしょう。


 「超職人」は、まさにそんな存在を差します。ルオーまではいかないまでも、彼らに共通する点は、皆陰では命がけの(誰よりも多くの色彩を持つ)努力をしているところです。

 安易な成功グッズや噂に引き摺られて、自分を見失っている(色を失う・他人の色を真似る)内は、本当の血がにじむような努力をしたとは、とてもいえないでしょう。

 本物のオンリーワン(正確にはワン・アンド・オンリー)は、必ずナンバーワンになるために一所懸命努力している人のことをいうと思います。

 今日は、かなりの長文になってしまいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


住まいの木案内舎ゲイン
by MUKUZAIKENKYU | 2010-06-11 11:07 | ビジネス 

携帯電話の存在価値

日本の住まいを良くする無垢材研究会 
 
                     住まいの木案内舎ゲインのゴトウです



 今朝はいい天気から幕開けです。太陽光は若干くすんでいましたが、朝の空気は実に清新さに溢れていました。

 
 携帯電話ですが、あなたはどこの回線を使っていますか?日本には、ドコモ、エーユー、ソフトバンクの3社のみですが、宣伝文句で、つい釣られて買ってしまったのではないでしょうか?

 私はドコモから始まり、次にAU、そしてSBと流れました。SBにした最大の動機は、SB同士なら、何時間話しても無料ということでした。

しょっちゅう外出することが多い仕事のため、それに会社単位では、社内社外で無料通話が多くなると、通信費のコストダウンにつながるため、多くの個人や企業がSBに乗り換えたため、ゲインもSBに直ちに乗り換えました。

 でも実際に使ってみると、仕入先や顧客の30%がSBになったため、確かに通信費は40%以上安くなるにはなったのです。そのときまでは、お~、やった!と思いました。

 ところがSBのどの機種もそうですが、AUの携帯より華奢なのです。華奢といえば聞こえはいいが、実際は安っぽいのです。AUが木箱なら、SBは紙箱。ヒンジもギシギシ音がするし、・・・そんな危惧が現実になりました。

 使い始めて、まだ1年半なのに、先ず最初に、バッテリーの消耗が早くなりました。ここまでは、そんなモンと思っていました。

 ところが、たまたま地上30センチのところから、ポタッと落としてしまった。落ちた音もしないほどの軽度な落ち方でしたが、見てみると、画面が真っ黒!どのボタンを押しても、うんともすんともなりません。

 販売店に持ち込んでみたら、修理しないと使えないとのこと。その販売店だけでも、毎日数件の故障持込があるということでした。

 以前使っていたAUの携帯は、地上1メートルの高さから鉄板の上に落としたことが数回ありますが、全くなんともありませんでした。ヒンジも弛むことなく、多少手荒く使っても、ビクともしません。防水でしたが、何度か洗ったときも問題なしでした。

 ところが、このSB製品は、故障持込の原因の30%が、浸水による故障ということです。防水機能が付いている機種で、ですよ。店員の方曰く「ちゃんとロックしていなかったんでしょうね」と、苦笑いしながら言っていました。


 次に起きた問題です。とにかく電波受信が低劣です。仕事柄、産地の山に入ることが多いのですが、山間部に入ると、ほとんど間違いなく「圏外」表示になります。

 福岡市の南に油山がありますが、頂上は別として、山道に入ると、いつの間にか圏外になってしまいます。ビルの地下でも圏外です。・・・これは、はっきりいって使えません。

 つながる相手があって、初めて使える携帯です。都市部や高速沿線でしか使えないのでは、いくら安くても、肝心のビジネスチャンスを逸してしまいます。

 都市部でも、車中でも、電波が不安定なのか、よく切れます。ある友人のSBでは、屋根が鉄製の折板の下に入ると、圏外になってしまうそうです。よほどアンテナがちゃちなんでしょうね。

 安かろう悪かろうならまだしも、機種は決して安くありません。最新機種なら、平気で6万以上して、クレジットを組まされるのですから、後で気づいても、もう遅い。2年間は辛抱するしかありません。

 この2年間の縛りは、SBにとっては好都合な制度です。私の携帯は、後5ヶ月で、丸2年。そのときは、絶対にAUに乗り換えるつもりです。コストを下げても、チャンスを失うのでは意味がありませんからね。


住まいの木案内舎ゲイン
by MUKUZAIKENKYU | 2010-06-10 10:45 | ビジネス 

コーヒータイム 経営と営業に関する覚書 その3

 『差別化と市場占有率(シェア)は比例しないが、セグメント(細分化)によって化ける』

 中小零細企業が成長企業として生き残るには、企業のコンセプトが不可欠であることを前回説明しました。

 ホントは中小零細企業でも、それなりに頑張れば、10数年間は成長できます。それはある意味、零細企業から小企業へと成長するまでの間ということでもあります。

 それまでの企業は、その実績の90%以上が、社長という経営者の力量に比例するからです。業種にもよりますが、10名未満の会社までは零細企業であり、50名までが小企業の範疇に入ると思います。

 業種にもよるといいましたが、それは大企業に成長しにくい業種もあるからです。むしろ家族労働に近いやり方の方が、うまくいく業種もあります。

 よくあるパターンですが、その会社がある程度成長した結果、その社長の直轄管理から管理職への権限委譲段階に来ているにも拘らず、社長自身の執着のために、それができないまま、会社を大きくしてしまうところがあります。

 その場合は、管理職に対応する社員は、社長の器の小ささを見抜き、心が離れて、やがてその会社を去ることになります。

 そしてそこの社長は「ほら、見ろ。やっぱり俺がいなければダメじゃないか。」と嘯くのです。…そりゃそうでしょう。社長自身が、会社の成長を望まないために、有用な社員から見捨てられたことに気づかないのだから、その会社は、社長の目が黒い間は、永遠にそれ以上大きくなれないのです。

 インターネットの普及によって、統計的な情報から逸脱した、新たな企業の在り方が生まれ始めています。それは企業間コラボレートによるネットワーク販売ともいえます。

 個人個人の高い力を結集することで、互いの長所を活かしあい、短所を補い合うというものです。それと同時に、互いの顧客の購買意識を確信まで高めていく方法です。
 インターネットや一地域内での企業間コラボレートでは、個人の能力がそのまま売りにつながるため、顧客にストレートにアピールできます。

 換言すれば、大手企業が数階層に分かれて意思決定する間に、当初の商品開発の真の意図が伝わらなくなって、売り手の傲慢さばかりが前面に出てしまうことがあります。

 または商流の複雑さ(煩雑度)によることもあります。メーカーからエンドユーザーに商品が届くまでに、中間業者が多数介在するような業種では、メーカーのコンセプトは、絶対といっていいほど、ユーザーに伝わることはありません。

 メーカーのコンセプトを知っている者は、そのメーカーから直接購入した者だけです。

 それは真実ではありますが、最近ではそれを安直な方法、つまり産直あるいは地産地消と呼称することで、自己満足に陥っている業者が多いのですが、それはある意味、メーカーや産地からの押し売りでしかありません。

 農産物なら理解できますが、そうでなければ売り手(紹介者、情報提供者、販売店、専門業者)は、自分の役割を放棄しているといえます。本当は農産物でも、スーパーに並ぶ前に、バイヤーからしっかりと選別されているのです。農家が持ち込んだものをそのまま陳列することは絶対にありません。

 しかし地産地消という販売キャンペーンは、差別化するだけの能力がない商品、換言すれば大きな市場に出すと、同じような商品で、より供給量が多く、価格も安い商品にミートされて、忽ち市場価値を失うような商品では、市場を限定することによって、シェアを高めることができ、また販売コストを抑えることもできて、一石二鳥の方法といえると思います。

 ただしこれはその市場を守る大義名分が保たれている間しか効力がありません。

 ある建築市場では、“近くの山の木で家を建てる”運動が行われていますが、中には供給能力がないにも拘らず参加して、実際の建築現場では、柱だけはその地域の製品だが、他の大多数の構造材は米松という輸入材を平気で利用しているところもあります。

 昨年の流行語にもなった“偽”ではありませんが、“欺”であることは間違いありません。

 この“近くの山の木で家を建てる”運動とは、ロハス的な視点から開始された高意識な環境センスを前提にしていますが、日本のほとんどの地域でのそれは、現地でいつの間にか、ユーザーを知らない産地と山を知らない工務店、そして木を知らない設計事務所が、同床異夢として、勝手な思惑で“金儲け”に奔走しているところがあります。

 この運動の原点は、エコロジーであり、エコノミーではありません。米国ではロハスと呼ばれていますが、ヨーロッパでは、それよりはるか前からバウビオロギーとして定着している運動です。

 このように市場を細分化すれば、競争力のない商品も、ある程度売ることはできますが、それが本物である価値を問われた途端に市場から消え去るしか能がない物も横行しているのが現実です。

 本来の市場の細分化による戦略的な販売は、次の手を打つことを前提に、今の市場に全力で資源を投入することです。

 本物の価値のある商品は、その土地に縛られることがありません。それだけ普遍的な価値があるからですが、もしそういった商品が紹介されてくると、その土地=市場だけでシェアを確保することばかり考えている“地産地消業者”は、瞬く間に市場から退場せざるを得なくなるでしょう。

 細分化された一地域の中でしか価値のないものは、それはシェアとは呼びません。閉鎖的な囲い込みといった方が的確でしょう。そんな流れの中には、まず本物は存在しません。

 細分化する意味はシェアに対する考え方の一つですので、販売する商品はどこにあっても通用するものでなくてはならないのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2008-03-13 07:00 | ビジネス 

コーヒータイム 経営と営業に関する覚書 その2

 『魚のいないところで釣りをしても、一匹も釣れるわけがない。まず魚のいるところで、釣り糸を垂れること』

 この言葉は、営業するターゲットの地域や客層について戒めたものです。

 お客様がいないところで、一所懸命営業をしても、望むお客様に出会えることはありません。実際にその通りです。でもこれには多くの人が陥る罠が仕掛けられています。

 この言葉を額面どおりに信じると、大手も中小企業も、こぞって市場規模の大きな都市部を目指して営業することになります。たしかに潜在的なお客様は多いでしょう。でもそれ以上に競争は熾烈を極めることになります。

 もし商材が同じものであれば、資金力と人材に勝る企業が必勝することは自明の理です。元々大手の物真似ばかりしている中小企業が、その物量戦に勝てるわけなどありません。

 この言葉の裏にある意味を正しく理解しなくては、このままでは中小企業には何をやっても勝ち目がないと認めてしまうことになります。

 “たしかに潜在顧客の多い地域”に来て、釣り糸を垂れたとします。でも同じような釣竿や餌なら、釣竿の本数と餌の量に比例して、釣果が決まってしまいます。

 そこがどんなに魚が多くても、まず自分がどんな魚を釣りたいのか、それが明確でないと、それに見合った釣竿や餌を準備することはできません。いい道具があれば、それに越したことはありません。後はただひたすら練習して、その道具を自由自在に使いこなすようになることです。

 それはつまり、まず第一に、自社が望む客層や顧客のイメージを鮮明にすること

 その次に、その未知の顧客が喜んで購入していただけるような商品を持っていること、あるいは開発すること。販売する商品がなければ、事業は成立しません。ただこの世に万人受けするような商品などひとつもないことを、予め認識しておかねばなりません。

 経営者や製品開発者がよく陥る錯覚ですが、どんなにいい商品でも、全人類、あるいは日本人のすべてに普遍的な価値を持たせることは不可能だし、そう考えてはならないということです。

 そして最後に最も重要なことがあります。
 それは、攻める地域や客層は決まった。何を売りたいのかも決まった。どう売れば効果的な販売ができるかも、十分に訓練した。普通そこまでいけば、もはや鬼に金棒とばかり、市場に飛び込んでいくのが一般的ですが、そこではやはり結果には著しい格差が発生します。なぜでしょうか?

 肝心の質問が欠落しているからです。だから答えを出せないまま出撃するため、燃料が続かない、敵機に簡単に撃ち落とされるという事態が頻発してしまう。

 その質問とは、なぜこの商品を売りたいのか?そしてその商品を売ることを通じて、何を得たいのか?この質問に対して、明確な答えを持っていないと、ちょっとした障害に簡単にめげてしまうことになります。

 それはその商品を販売する会社なり営業マンが、その商品とその商品を購入してくれる顧客に相応しい条件(会社、人格)を持っているかということです。

 この質問に対して明確な答えを持っていなくては、なかんずく目指す世界が大きく、そして高いなら、それに応じて、更に厳粛に持っていなくてはならないはずです。
 
 さきの魚釣りの話に戻すなら、魚影の濃い釣り場を発見できた。どんな魚を釣りたいか明確なので、その魚が欲しがる餌と、その肴に合わせた釣竿とテグスも準備できた。
 最後に、誰がその釣竿を操るのか、誰がその魚を釣り上げるのか。

 企業でいえば、その誰かが、10年先ではなく、20年先にも30年先にもいなくては、企業は存続できません。逆に10年目でやっとブレイクして、会社がバンバン成長していても、そのときは立派な社長や営業マンであっても、驕りや高慢さが生じた瞬間から、奈落の底に向かって転がり始めるのです。

 私は、望む魚を釣るのに相応しい人(会社)なのか?相応しいと呼ばれる努力を怠らず実践しているか?昨日より今日の方が素晴らしいと、今日より明日の方が更に向上していると断言できるだけの修錬を実践できているか?

 釣る魚は生き物です。釣る側も生き物です。成長するときもあれば、老いることもある。勢いがあるときもあれば、油断が高じるときもある。欲ばかりに目を眩ませると、魚は敏感に逃げてしまい、道具の扱いも雑になってしまいます。ひどくなると、魚が釣れないのは、餌のせいだ、道具のせいだとわめき散らすものもいます。釣れてるときは、それこそこれ見よがしに自慢していたもののせいにするのです。

 いつでもどこでも謙虚な自己修錬を伴っていなければ本物ではありません。物を販売するということ、お客様に購入していただくということは、だますことでも、目の前で威張ることでもありません。

 好奇心と向上心のもとに努力し続けること、情操を高めるとこ、陰徳を積むこと、そうする過程で、シンクロニシティーやセレンディピティーが目的地へと導いてくれるようになります。

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by MUKUZAIKENKYU | 2008-03-12 07:00 | ビジネス 

コーヒータイム 経営と営業に関する覚書

 『中小企業と屏風は、拡げると倒れる』

 けだし名言です。
 これは安易な多角経営を戒めた言葉です。十分な資金力や人材のない会社にあっては、経営資源が分散するような方向に舵を切ると、早晩資金が底を着くだけでなく、大切な人材に不得手な事を強いることになって、人のパワーを去勢してしまい、かえって業績が悪くなるということです。

 でも中小企業に限らず、どんな会社でも、その社会的使命が大きければ大きいほど、購買市場の規模に応じて、今以上の上を目指さなくてはならない運命にあります。

 大きくなれる会社は、会社の資金力やマンパワーより、もっと肝心な条件があります。それはコンセプトの高さです。

 会社は社長の器に従う。これもその通りです。社長の価値観や経営判断によって、会社の将来は決まります。だからコンセプト次第では、たとえ当初はたった一人で開業して、資金も人脈もない状態から出発しても、どこまでも成長していく運命にあると言えます。

 ある人が言っていましたが、商品の差別化は、いつも真似をされる運命にあるので、そこで成功したからといって安心していたら、資金力や人材に勝る企業から、瞬く間に喰われてしまう。真の差別化は、そして最も競争力のある商品とは、企業のコンセプトであり、それこそが究極の差別化を実現する、と。

 でも折角のチャンスを逃すことが多いのも、中小企業の悲哀です。多角化の悪魔の誘いではなく、事業成長のチャンスが到来しているにも拘らず、資金がないとか、それをやる余裕がないとかの理由をつけてしまう経営者が多いのです。

 そのチャンスを掴まなかったばかりに、10年経っても20年経っても、最初の1日目と変らないことしかできない会社になって、他の同業者の肥やしにされてしまうのです。

 経営では緩急メリハリで、会社に常に刺激を持たせなくては、人材は腐ってしまいます。次のステージに向かうときには、今までの当たり前になった思考や行動習慣を一掃しなければならないことが多いのです。その勇気をもって行動できた者だけしか、栄誉を手にすることができないようになっています。


 『目標を明確に設定できたら、一旦目標のことを忘れて、行動に集中すること』

 この言葉は、目標設定症候群とも言うべき、目標はやたらに作るが、そのどれもが結局未達成に終始する人や企業を戒めています。

 どんなことでも、どんなに立派な考えを持っていても、ただ思っているだけでは、何ひとつとして風を起すことはできません。

 よくドライブに例えられますが、1000キロメートル先の都市に行きたいと計画するとき、人はそこに至る道程を地図や案内を見て、途中のガソリンスタンドやコンビニを、ある程度把握して出発します。

 実際に出発して、車を運転し始めますが、運転中に、さっき調べた資料や地図を見ながら運転することはないはずです。夜間走るなら、ヘッドライトは50メートル先までしか照らしません。ドライバーは、その50メートルに意識を集中して、障害物を避け、信号が赤なら止まり、カーブがあるならスピードを調節します。

 そのときは1000キロ先のことは考えていません。目的地に向かって走っていることは分かっているので、目の前のことに集中して、無事に通過できれば、目的地に辿り着くことができます。

 10キロ先の目的地とは異なり、1000キロ先なら、それなりに周到な準備が必要です。準備には時間も掛かりますが、万端であれば自信を持って出発することもできます。
 1000キロ先の目的地に辿り着くには、まず目の前の10キロ先を通過できなければ、残りの990キロを走ることができません。

 そして一旦走り出したら、目の前のことに細心のの注意を払いながら、ひとつひとつクリアすることだけが最優先の課題になります。1000キロ先のことなど考えても意味がないからです。

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by MUKUZAIKENKYU | 2008-03-11 07:00 | ビジネス 

トータルパーソンがあるならトータルハウスもあり!

 トータルパーソンとは、人生に必要不可欠な要素を全体的にバランスよく満たした状態の人のことを指します。

 あるノウハウでは、それは6分野に分別されていて、健康面、精神面、社会面、経済面、家庭面、教養面のそれぞれにおけるアイデンティティを確立するためにそれぞれの目標を設定し、優先順位を追って、逐次達成して、最終的にはトータルパーソンとして自己実現を果たすというものです。

トータルハウジング。ハウジングという言葉ははっきりいって好きではありません。日本語的な語感としてパッとしません。(○○ハウジングという会社の方がいらっしゃったらごめんなさい。)

HOUSE=家  HOME=家庭・本拠地 HOUSING=住宅供給

 トータルハウスとは何でしょうか?
(トータルハウスという言葉は理想的な状態としての家のことを意味しますが、世間にある「トータルハウス」という名の会社とは何の関係もありません。)


 上記の6分野がそのまま当てはまります。

 健康面=住まい手の健康にいい。不健康にならない。病気になる原因を除去する。

 精神面=住むということは住みつづけること。住まい手と建築家の想いが生きる、倫理観のある家。設計思想の高い家。

 社会面=家族だけでなく、多くの人が集いたくなる家。友人や知人の訪問が絶えないオープンな家。周囲の環境に良い影響を与える家。

 経済面=住みつづけるということはメンテナンスをすることにつながります。メンテナンスが出来るだけ必要のない家。仮にメンテナンスが必要になっても費用の掛からない家。
 さらに普段の生活の中でも、光熱水道費が極力低減できる家。

 家庭面=家族全員のそれぞれの立場と要望に応じた家の造りと間取り。疲れない、癒される家。一家の団欒を前提にした家。

 教養面=家作りの基本をしっかり踏襲している家。奇を衒わない、伝統とオリジナルを融合統一した家。素材をしっかりと吟味している家。

 これらのそれぞれの要素をきっちり満たしている家が本当の意味でいい家といえます。

 この中の分野のひとつでも欠けるといい家は出来ません。そして一つ一つの分野で本ができるほどの条件やノウハウがあります。

 例えば教養面だけでも、それを充実させるならば、家を建てる場所の地盤が磐石であることが要求されます。
 どんなに耐震とか免震といっても、地盤が軟弱だと軽い地震が来ただけで異常に揺れるだけでなく、傾いてしまうからです。

 そして最初から(完璧はないとしても)完璧を目指すのでなければ、中途半端な妥協の産物でしかないありふれた家が建てられることになります。

 いろんな工法が盛んに喧伝されていますが、そういう工法が出てきてまだ20年も経っていないのです。本当に正しい工法なのか、誰も実証していませんし、おそらくできないと思います。

 家は実証です。新?工法を合理化するための実証データや試験結果などもありますが、そういう宣伝をしているメーカーやそれを安易に信じてしまう人は、肝心なことを忘れています。

 その家の中に人が住むということ、住みつづけるということです。それは機能や性能を実証したからといって、家を守って、人を守らずが圧倒的に多いものです。

 家は人の五感を通して住みつづけることに応えることができなくては、どんな機能があっても性能が一見良くても、何の答えにもなっていないのです。

次回からひとつひとつ押えていこうと思います。

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by MUKUZAIKENKYU | 2006-02-04 17:36 | ビジネス