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木と人間

ある人の教え


木というものは美しい。

針葉樹でも、広葉樹でも、そこに屹立するものは美しい。

しかしながら植物である限り、ものを言わぬし、動きもしない。

だからといって人より劣ると思うのは浅薄な考えだ。

人は学ぶから人である。

学ぶために、地球上にはありとあらゆるものがあり、生成消滅しているのだ。

人は木からも当然学ぶのでなければならない。

教えを受け、学ぶから人は人たる霊性を体得するのである。

それを放棄する者は、成長が止まるだけではない。

地球上の最も卑しい底にまで転落する運命にある。

物言わぬ宇宙自然を貫く尊い真理を求め、そして学ぶことで

人の心身は意志の発現と壮健なる肉体を得るのである。

宇宙自然に比して、あまりにも短い命しか持たぬ人は

持たぬがゆえに多くを学び取る器を幽妙に与えられているのである。

木に学ぶこと、それだけでも人の一生では尽くせぬ宝を手にすることだろう。

激しく動き回ることも人生ではある。

超然と屹立することもまた人生である。

学ぶということは、受け、そして引き継ぐことである。

そしてもっとも肝心なことは、それを大事に渡すことである。

宇宙自然の意志を、己の鏡とし、その作法を伝授することである。

学び続けることは成長し続けることである。

それゆえに必然己の限界を超えていくことができるのだ。

樹は幹が折れても、静かに無理をせず、慌てもせず、騒ぎもせず

やがて元の姿を取り戻すだけでなく、更に強靭な幹となって現れる。

たったこれだけのことでも、既にほとんどの人の心身を越えている。

木の美しさは、こういうところにも現れている
by MUKUZAIKENKYU | 2006-01-30 19:57 | 木 無垢材 自然

「いい家」という基準は誰が決めるの?

「いい家」とは何でしょうか?

 ある本では、外断熱と二重通気工法を「いい家」といってはばからない著者がいます。この人はあのカネミオイル事件の親会社であるカネカ(鐘淵科学)系経由で出版しているそうです。
 この会社は発泡スチロールや発泡ウレタン系の断熱材のメーカーでもあります。

 魂胆が見え見えのデキ本です。

 こういった本はごまんと出版されています。バックには建材メーカーや大手ハウスメーカーがいます。むしろそのメーカーのための宣伝本といった方が分かりやすいでしょう。

 またある本では、欧米の住宅は先進国で、日本は住宅後進国と決め付けていました。

 こんなあほなことに議論する気にもなれませんが、よほど世間を知らないのか、伝統というものを理解していないのではないでしょうか?

 確かに戦後の住宅は、あまりにひどい。そのリーダー役がある意味では大手ハウスメーカーです。とりわけ廉価住宅(坪単価の安さを売りにするメーカー)の販売会社には、大きな罪があると思います。

 それを可能にした建築基準法の後進性にも大いに問題があります。

 欧米の木造住宅をもてはやす人に共通した価値観は、木に対する意識の低さです。

 彼らは木を構造材としてしか理解していません。

 日本人の木造住宅では、木を見る、木を感じるという文化が元々あります。

 化石燃料である石油加工品の断熱材を使うことを前提に家づくりを考えること自体、本末転倒といわざるを得ません。

 木造住宅にも、ピンからキリまであります。その他の工法の家でも、同じです。
 最近ツーバイフォー工法での3階建てが基準法で許可されましたが、これは米国の要求に従っただけです。

 高気密住宅といって、その気密度を数値で表し、性能表示として宣伝しているメーカーがいます。気密度が高いから、何ナノ?だったらコンクリートにすればいいじゃない、といいたくなります。

 高気密を謳い文句にしているメーカー同士で争えばいいだけで、日本の木の家の基準にはなりえません。

 食物を買うのに、その成分を知ってから買うのでしょうか?成分表や鮮度を数値化されていなければ買わないのでしょうか?

 自動車を買うためには皆さんは試乗をして買うでしょう。乗り心地や車内環境、足回りや加速性などを身体で実感して買うのだと思います。
 自分が求める自動車の性能を予め確かめた上で、そうする方もたくさんいます。

 住宅にはL値やQ値といった基準値もありますが、これは欠陥住宅を作らせないという予防的措置もありますが、このことは人が実際に住んで感じる住み心地とは直接関係のないものです。

 家選びの基準は人から与えられて見つけるものではありません。自分の意志で発見するものだと思います。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-01-28 16:51

メーカーによるメーカーのための家づくりとは? その2

メーカーにとっての家について前回述べました。

 今回はそのメーカーが選択する構造材や内装材はどのようなものか検証します。

 ハウスメーカーはまず何よりも予め設定されている利益を確保することが目的ですので、それに見合った材料や建材を選びます。

 ハウスメーカーは常に同業他社と競争をしています。一戸でも多く契約を結ぶことに血眼になります。

 ごく一部のメーカーではすべて自社製品で賄っているため、予算組みから施工までが透明になります。そのためいい家に近いものを建てることができます。そういったハウスメーカーはその会社が考える家を前提にしていますので、その思いの分だけいいものができます。

 しかしながらほとんどのハウスメーカーは、大手の建材メーカーの既製品を使用します。大量生産大量供給であるため、商品の購買量が多いほどスケールメリットが働き、材料費を安く抑えることができるからです。

 不思議なことに多くのハウスメーカーが同じ建材メーカーの商品を使って、いかにも独自の家であるかのように宣伝しています。大手の建材メーカーの商品を取り扱う限り、絶対に独自性は出ません。
 しかも同じような仕様、同じ面積なのに、価格は100万円単位で違いが出ます。

 じゃあなぜそんな建材メーカーの既製品を使うのか?安くなるからです。それ以外に理由はありません。お客さんの足のサイズが24㎝であろうと26cmであろうと、当社は25㎝しかありませんから、これを使ってくださいと言っているようなものです。

 多少の不満はあるでしょうが、その分安くなったのだからガマンしましょう。というのが、ほとんどのハウスメーカーのやることです。
 だから最初から提案する建材が決まっているのです。本来であれば、お客さんの要望を聴き取った上で、それに応じた商品を探すのが常識なのですが、彼らのようなメーカーの常識は逆立ちしています。

 如何にコストを抑え、利益を出すか、そして他社より一件でも多くの契約を取ることに目が眩んでいるため、お客さんのことを考えているようで、実は考えていないのです。

 本当は目に見える部分も予め犠牲になっているのですが、・・・その結果、目に見えない部分が犠牲にされる傾向にあります。目に見えない部分とは、壁の中と天井裏にある材料です。

 木造住宅では構造材としての木が犠牲になります。

 私たち日本の住まいを良くする無垢材研究会が考える構造材は、すべて乾燥材です。しかも角落ちのないものを使用します。家の耐久性を決定するのは構造材の良し悪しだからです。

 その地域の特性に適応した木を選び、人工乾燥などの工程を経た乾燥材を使用することは、私たちにとって絶対条件です。

 木造住宅のほとんどのハウスメーカーで使われる、目に見えない構造材はほとんどがグリン材(生材)です。そのためかならずといっていいほど木の乾燥に伴う収縮によってあちこちにゆるみが生じます。
 でも完成する頃には目に見えなくなっているため氣が付かないのです。

 今でも一部のハウスメーカーが行っている高気密(別名ペットボトル)住宅では、シックハウスの元になる揮発性有害物質を密閉するだけでなく、木が乾燥して吐き出す湿気をも閉じ込めてしまいます。そのため壁や天井裏、床下のそこかしこに湿気がこもり、不衛生極まりない家になるのです。

 そして更に構造材に使う樹種はすべて輸入材です。60年代に入って高度成長期には柱はベイツガ、梁は米松と、日本の家屋のほとんどが米国に侵略されていました。
 20数年前ぐらいから柱や垂木だけは杉を使うことが多くなりました。この理由は日本の森林が廃れ始め、製材所が投売りをし始めたことに関連しています。

 そのため投売り用の国産材が市場に出回るようになったため、きわめて質の低い商品ばかりが売れるようになりました。その結果日本の国産材市場は更に荒んでしまいました。

 水分だらけで目も粗く、素性の悪い木が、一時国産材の代名詞のように言われました。

 その後多くの地域で活性化事業が展開された結果、各地の国産材はかなり改善されました。しかしながら本当に復活した産地や製材所のほとんどが、官庁や行政に頼らず、自力で道を切り開いたところばかりです。
 旧態依然として官庁や行政に依存ばかりしている産地や製材所は、もはや生き残る道がなくなりつつあります。

 話が横道にそれましたが、実際にまともな木の家づくりを考えるなら、もしその業者がプロを名乗るのであれば、国産の乾燥材を前提に考えるはずです。
 米国産の木を使っても、日本の森林はよみがえることはありません。むしろどんどん廃れていくだけです。

 日本に住むために日本の国内に家を建てるならば、その気候風土の条件に叶ったものとしての国産材を使用しないと、家は建ったが、国土は荒んだということになるのです。

 日本の魂を失ったハウスメーカーの建てる家は、孫子に引き継ぐ財産にはなりません。
 そんな家に数千万円の金を払うのは、お金の浪費でしかないと思います。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-01-27 10:31

メーカーによるメーカーのための家づくりとは? その1

 今日はちょっと視点を変えて家づくりを考えてみます。それはいわゆるハウスメーカー側からの視点で家づくりがどのように行われているかということです。
 これを知ることによって、多くの住まい手の方がその中でどのような位置に設定されているかが分かるでしょう。(売り手は住まい手を神様のようにいいますが、実はきちんと計算されているのです)

 良いことも悪いことも含めて考えてみることは、今後ご自分が持ちたいと思っている家が客観的に理解できるきっかけにはなると思います。

大手も名もないような地場ビルダーも皆同じです。商売だからです。だから大なり小なりやり方は似ています。異なる点は、以下の流れの中で述べます。

 ハウスメーカーであれなんであれ、彼らにとっての「家」とは、住まい手に買っていただく商品です。より多く買っていただくためにいろんな手段を講じるのです。
 そのとき彼らから見た住まい手は、自社の商品である家を買いたいと言わせるための顧客です。自社商品に関心を持たせ、それにお金を払ってでも買いたいと言ってもらえるように営業活動をします。

 最初は集客です。そのために宣伝をします。モデルハウスも当然宣伝手段です。住まい手がそこに住むためにではなく、あくまで見込み客が多く集まるための仕掛けをふんだんに施しているのが「モデルハウス」です。
 もう一度いいます。どんなに良く見えても、住まい手のあなたが住む家ではありません。

 メーカーの中で賢明な会社は予め客層を限定した宣伝(モデルハウス)をします。多くの場合は坪単価で分けますが、最近は坪単価の胡散臭さが知れ渡るようになって、パフォーマンスコストとして「これだけ揃って、全部でなんぼ!」という表現に変わりつつあります。
 このやり方は八百屋のおいさんが、ジャガイモにきゅうり、もうひとつキャベツもつけよう。これだけ揃って300円、安いだろ?持ってけえ」と言って、買い物客に買わせる手法と何ら変わるところがありません。

 賢明な方であれば、もうお解かりでしょう。パフォーマンスコスト(イニシャルコストともいいます)による販売方法とは、工法や材料の宣伝はしても、それを判断基準にさせない方法なのです。

 さて自社のモデルハウスに見込み客を集めるか、チラシや新聞広告から見込み客を集める方法はかなり異なります。
 前者は直接見させて決断させる方法を、後者は注意を喚起して問合せをさせる方法を駆使します。

 モデルハウスでは通常営業マンが配置されています。かわいらしい受付嬢がいて、丁寧に案内をします。営業マンは何気なく話しかけて見込み客度を測るため、いろんな質問を投げかけてきます。すぐ買う可能性の高い見込み客には、「実は今」とキャンペーンでお得な話を持ちかけます。「今買うと得しますよう。今買わないと損しますよう。」です。

 このやり方はスーパーの大出し売りをそのまま真似ています。えっと言わせるような特別仕様の設備や金利の話です。家そのものとは全然関係ない話ですが、いわゆる消費者には効き目があるようです。つまり家に対してしっかりした想いが固まっていない見込み客は、そんな話に釣られやすいからです。
 でも金利の話は絶対信用してはなりません。住宅ローンは住まい手が得をするような仕掛けになっていません。すべて貸し手である金融機関が得をするようにできているからです。

 新聞広告やチラシでは、自社商品の特徴や標準仕様を掲載するのが一般的です。でも最近は少し事情が変わってきています。そういう広告には嘘が多いことを皆が知るようになったからでもありますが、人間的な接近を図るために満面笑顔の自社社員や職人の顔写真を掲載したり、ユーザー声を乗せるケースが多くなりました。

 ユーザーの声というのは効果的な宣伝になります。事実であれ、ヤラセであれ、です。事実をまともに載せている会社と作り話をでっち上げている会社があります。両方を混ぜている会社も結構あります。

 これを見分ける方法を教えます。どれでもいいので、その会社を散々褒めちぎっているようなコメントを出している声の主に会いたいと言えばいいのです。どうしてかと返答が来たら、どこが良かったのかその家を見学がてら、その住人に詳しい話を聞いてみたいからと応えればいいでしょう。

 もうひとつやたらエモーショナルな言葉が飛び交っているチラシや広告は、大体ユーザーの潜在的な不安感や恐怖心を煽ること、そしてできるだけ安易な方法を示唆します。
 これも家そのものとは全く関係のない話です。見込み客の心理的な弱点を突く方法で、エモーショナル・マーケティングといって、見出しを目をひきつけるために、否定形か肯定形の決め打ち文句にします。その場合ほとんどが極論を前提にします。

 この世のすべてにいえることですが、極論から始まるものにろくなものはありません。歴史が証明しています。しかも一介の宣伝や広告です。それを極論から始めるものは最初から疑って掛かる必要があります。それが賢明というものです。

 「・・・買うな!」「・・・買え!」「目が覚めたら・・・」「瞬く間に・・・」「実は・・・だから・・・できるのです!」「驚愕の・・・!」「ここだけの話ですが、・・・」「隣の人が悔しがる・・・」「あなただけに・・・」「朗報です!・・・」「これからの常識は・・・」「乗り遅れるな!・・・」「最新設備の・・・これまで付いて、何と!・・・」エトセトラ
 こんな表現はスーパーか電器スーパーに言わせておけばいいのです。

 人が住む、家族が住む家に対して、このような表現をすることは無節操にして不謹慎です。こんな宣伝をする業者は疑って掛かる必要があります。絶対安易に信じてはいけません。

 大手の宣伝方法はチラシだけでなく、テレビなどのメディアを通じて行われています。
 ほとんどすべてがイメージ広告です。最近は環境対策を前面に打ち出した広告が目に付きます。CO2や地震、火事対策がほとんどです。

  言ってみればこれも人の恐怖心理をついた方法です。最近発生した地震などの自然現象が多くの人の記憶に残っているうちに、潜在的な恐怖心まで煽り立てて、慌てて購入させようとする方法です。明日来るかも知れない、100年後にしか来ないかも知れないものに、見えない恐怖心を掻きたてるのです。
 CO2対策と称してある電機メーカーとタイアップして高価な電気製品を合わせて購入させようとしている宣伝もたくさんあります。
 鉄は木の53倍もの二酸化炭素を発生させます。アルミにいたっては237倍です。こういう建材を平気で標準仕様にしていて、何をか況や!ですね。

 本当にまともな業者ならば、自社の良い所も弱点も包み隠さず公開します。そして懸命になって、少しでも質を高めようと毎日努力します。顧客に選んでいただけるように質の向上に命がけで努力します。

 そして棚に上げたような営業はしません。最初から本物を目指しているから、十全に考え抜くからです。取って付けたような工法などほとんどが嘘であることを知っているから、最初から基本を忠実に行います。材料のすべてを大切に扱います。
 だからいい家ができるのです。


 使命感の違いなのです。本物のプロして仕事に励む業者は、まず何のために、誰のためにその仕事をしているのかという問題意識を、片時も離しません。 
 本当に住まい手のことを考えて家を造るという目的意識をしっかり持っている業者であれば、住まい手にとって良いものと良くないものを予め選別して、良くないものはきちんと説明して提供しません。取って付けたような地震対策の家など笑止千万です。
 真剣に家づくりを考えた家であれば、元々の発想から前提条件として組み込まれているからです。

 本物のプロを目指して努力しても、完璧なものはありません。すべてを知っていることもありません。知らないから知ろうとするのです。技術がないからより高い技術を身に着けようとするのです。
 だからプロであればこそ、物事には謙虚なのです。知ったかぶりをしません。それをした途端にすべての成長が止まり、退化することを知っているからです。
 そしてもうひとつ、決して逃げません。困難な事態に遭遇しても、それを自分のステージアップのチャンスと受け止めて、真剣に取り組み、確実に乗り越えていきます。
 そのためには絶対に人のせいにはしません。それをした途端、向上のチャンスは永遠に来なくなります。軽蔑されて、協力者やアドバイザーがいなくなるからです。

 何かあったら人のせいにすることを前提に仕事をする?私はその世界で生きる価値がない存在と自分で言っているようなものです。

 住まい手にとって良い物を作り、良いものを施工し、良いものを提供していくために、それに見合うだけの知識と技術を身に着けるために、自分に対して決して妥協せずに毎日毎日向上心を持って努力すること。これが当然の姿であるべきなのではないでしょうか?

 耐震強度偽装事件はひとつのきっかけです。本当のプロがいなくなったわけではありません。単に要領だけでのし上がり、結果的に権力を持つ者が多いため、ニセモノの方が当たり前のように振舞うからです。本物と出会うチャンスが少なくなり、総じて業界全体の人の質を目も当てられぬほどに下げてしまっているからなのです。

 この業界には倫理がないのです。中学校からやり直して、この世の正義とは、倫理とは何か?根本的なところからやり直さなければならないところまで来ているのかも知れません。
 本当はプロとして仕事をするのですから、高い倫理観を持つことは、技術力を身につけることよりはるかに大切なことなのです。

 これを予め体得できなければ、住宅も含めたあらゆる建築物は、住まい手を餌食に、いつでも偽装と手抜き、そして責任転嫁の餓鬼・畜生の創造物へと変貌する可能性を孕んでいるのです。

 次は構造材、内装材について語ります。
(続く)
by MUKUZAIKENKYU | 2006-01-16 17:16

想いのない新興住宅地は家をダメにする?

 土地の開発業者が宅地を造成し、そこに多くのハウスメーカーや地場ビルダーが競ってそれぞれの家を建てています。
 新しく造成したのですから、当然新しい街ができます。そこの風景はまるでステロタイプとデジャブを絵に描いたようなモドキ住宅がひしめき合っています。
 謳い文句だけですが、坪20万円台の家から50万以上はする家など、または建築家が設計したと思われる家の横にメーカー製の季節感の全くない既製品住宅(住まい手は自分だけの家と思い込んでいますが)が建っています。

 何かバランスが悪い街並みです。開発業者が景観規制や街並みイメージをただの道路づくりと勘違いしているようなところです。
 そして最近流行の一種異様なパステルカラーで塗装されたおもちゃのような家が建ち並んでいます。ロープライス住宅(ローコストではありません)の横に本格的な家が建つと、途端にそのロープライス住宅はいかにも貧弱で厚化粧をして地を覆い隠しているあばら家に見えてきます。そしてどんなにいい家も、何かしら浮いてしまって締まりがありません。

 一時ホーメストというメーカーが里山を切り開き、自社だけの家で街づくりをしたことがありました。計画は3分の1ぐらい進行して、その後売れずにあえなく挫折。
 原因はそのメーカーの街づくりの発想が単に団地を作り、出来るだけ多くの家を建てるという単純な考えであったこととその既製品住宅が他社のそれと比べてもあまりに貧弱だったため、一種のゲットーのような景観になってしまい、住まい手からも敬遠されてしまったことにあります。

 安かろう悪かろうの典型でした。この反対に高かろう良かろうもありますが、メーカーがどんなに広告しても「安かろう良かろう」はありません。安いのは安いなりの出来なのです。
 
「こんなに安くて、こんなに良い家!?」みたいな広告を良く見ますが、家は見かけではありません。家を判断する基準にはいろいろあっていいと思いますが、家は住み心地であり、耐久性を前提にするものでなくてはならないと思います。
 一般的に宣伝されている「安くていい家」のほとんどは、見掛けが良いだけの持ちの悪い家だと思って間違いありません。

 もうひとつ、それは大手になればなるほど巨額の宣伝費を使って集客を図ります。思惑以上の契約ができれば、住まい手が宣伝費を支払う割合は減りますが、中小のメーカーやビルダーが多くの宣伝費を使うと、とんでもないぼろ家ができることになります。
 宣伝費を契約料で吸収できる率が圧倒的に悪いからです。大手のように量で賄えないため、一つ一つの家に宣伝費の回収が大きく乗ってくるからです。

 中小零細企業で宣伝費に多くの金をかけている企業は、いずれ間違いなく電話帳から消え去る運命にあります。

 それにしても直感的にバランスの悪いこの住宅地、既にある程度街並みが出来上がりつつあるのですが、その原因のひとつは、単に家の価格帯によるものではありません。
 今まで聞いたこともないような、なにやら理解しにくい「独自の」工法による多種多様な家々、西も東もないてんでばらばらな玄関の位置、隣り合う家同士であっち向いてホイをやっているようです。

 流行のいろんなパステルカラーで仕上げた家々、瓦の色も空から見るとまるでペンキをぶちまけたようです。輸入住宅があれば、レンガ造りに見せかけた外壁版で蔽った家がある。
 戸建て住宅の群れの中に割り込むようにして賃貸住宅が建っています。
 と思うと、Sハウスの家並みが十数棟続くと、今度はDハウスの家並みが現れます。○○ホームが数棟あったと思ったら、忽然とT建設独特の家が数棟置きに七八軒建っていました。
 暫く行くと、200メートルの長さに道路の左右に有名無名のメーカーの家々が一軒ずつ建っています。住宅展示場のそのまま転売エリアでした。

 家の向きもバラバラ、形の統一性も全くない(同一性ではありません)、…中にはおおっと目を見張る家が一二軒ありましたが、それだけでした。

 …さてこの新興住宅地には将来にわたって財産価値が高まるような意匠や工夫がなされているとはとても思えません。
 普通常識的には、街づくりは意匠専門の設計事務所が関わるはずです。都市計画まで行かないまでも街づくりのコンセプトをきっちり前面に出して、その条件に柔軟に適応できる家づくりを認め、将来の道路名などに応じた家並みを考え抜くものです。

 この宅地はまだ未完成ですが、街の文化は、無計画なやりっ放し意匠のためか、町全体でチンドン屋をやっているようにしか見えません。

 個々の家々が街並みを作り、独特の景観が生まれ、そこの街の価値を高めもすれば低めもします。

 あるデベロッパーが供給している家は、表向きは無垢材といいながら、ウレタン塗装品のベニヤ板床材を標準仕様にしたロープライス住宅ばかりですが、団地作りは旨くて、○○村という表現で自然回帰を促しながら、住宅周辺に空間的な余裕を大幅に作ることで人気を得ました。
 供給する家が3流でも、街づくりの発想が旨ければ、それなりに結果を出すことにつながるのです。
 その逆の例が今回の新興住宅地です。街づくりの計画性が道路整備ぐらいで、コンセプトがないためいろんな階層の家が並立したため、どの家もしっくり納まっていません。

 一般的に高級住宅街と呼ばれる街にはそれなりに根拠があります。住民に高所得者が多いというのは結果です。地盤と環境が良いために良い家が建てやすいのです。
 中には見栄だけで無理をして家を建てるユーザーもいますが、その価値はあります。財産価値が高いからです。家そのものの財産価値は法律から見た判断で決まりますが、実際の売買では街並みが重要な価値基準になるからです。
 どんなにいい家であっても、周囲の環境が悪く、地盤が軟弱で湿気の多いところは運気自体を下げてしまいます。そして実売買基準は法律判断よりはるかに低くなってしまいます。

 夢のマイホームを持ったばかりの住まい手ばかりで出来上がった街です。悪くは言いたくないのですが、土地の開発業者(デベロッパー)の意識程度で、こんなにも街並みに差が表れるのかと証明できるいい見本だと思います。

 本当にまともな住宅地を構想するならマンションなどもある程度配置されるはずですが、おそらく地盤に問題があるのでしょう。

 一部のメーカー独占団地は見る価値もありませんが、こういった“何でもあり”団地では街自体に新たな価値が生まれないと思いました。
 
by MUKUZAIKENKYU | 2006-01-12 19:09 | 木 無垢材 自然

一向に改まらぬ材木・建材業界について

違法伐採の上に輸入される材木の存在を知りながら、それを販売することは、A元建築士と同じ罪を犯していると自覚すべきです。

 今日の朝日新聞の朝刊に地球温暖化に関する特集記事が載っていました。
 私たちが微力ながら取り組んできた“地球温暖化阻止のための盗伐をさせない使わない”運動は、かれこれ10年になろうとしています。
 材木業界が「違法伐採材の輸入を止めよう」と言い始めたのは3年前からでした。

 そしていまだにノーカンな建築業界は、アクションひとつ起していません。官庁とデジャブな建築基準法のためなのか公の行動には現れていません。

 日本全国にはごく一部ですが自分のやる仕事を地球規模の射程に入れて活動している立派な工務店や林産地があります。いわゆる材木屋では、私たちが知っている限りでは10本の指で収まるほどしか知りません。

 材木屋がただの流通業者に堕してしまって以来、目先の金儲けのために、違法伐採・盗伐材が市場に流通していることをむしろ大いに利用した側面があります。
 このような材木を利用すればするほど、材木屋の地位が下がっていくことに気付かなかったのでしょう。それだけバカが多い業界でもあります。

 私たちも「材木屋」ではあります。しかしながら「あんたアホやろ?わしかてアホや!ほなさいならあ!」というわけには行かないのです。

 これは建築業界だけでなく、輸入を行う商社にも極めて大きな責任があります。材木屋の地位が下がることに貢献したばかりでなく、この材木の流通ルートを意図的に材木屋経由という大前提を無視して、木の名称すら知らない一般建材屋ルートからも流したため、材木価格が軒並み崩れてしまったからです。

 それにしてもこんなことをする商社から、依然として取引を継続している材木屋がいまだにあるのは信じがたい事実です。
 その結果日本全国のどれほど多くの優良な産地が廃れてしまったか。山が荒れると、人がいなくなります。人がいなくなると、更に山が荒れてしまいます。

 山が荒れると、山の保水力が減り、川下での河川の氾濫に直結します。それだけでなく木の成長が悪くなるため、動物たちの食料である木の実が減少します。その結果昆虫、川の魚などの生物も減少するため、森林に生息していた生物は餓死して滅亡するか新たな食料を求めて下界に下りてきます。人間との対立が発生します。

 ツンドラ地帯の永久凍土の融解(融けて広大な池になり、太陽熱が地表を融かし続けるため、拡張に歯止めが掛からなくなります)は、1964年から30年間で日本の5倍の面積の森林地帯を消失させてしまいました。それは今でも進行中です。

 その一因になっているのがこの地域での盗伐(違法伐採)なのです。ロシアから松とかの松材やナラなどの広葉樹はとりわけ高い値段で取引されるため、よくよく慎重さが必要です。
 名前だけを変えて輸入されているものが多いからです。代表的なものは「中国から松」「中国なら」「ロシアンシルバーパイン」「ビルマチーク」「タイチーク」等々、まともなルートから流通するものもあれば、ブローカールートから流通する盗伐材もあります。

 これらの真贋を見抜き、不正なルートから入ってくる材木を市場に流通させないようにする運動が是非とも必要なのです。商社は役に立ちません。規制がなければ何でもやる業種だからです。
 本当の意味で本当に価値ある行動を起せるのは材木屋しかないのです。

 しかし自ら自分の首を絞めて地位から権威も廃れてしまった現状では、材木屋に期待することはもはや不可能なレベルまで来ていると思います。

 でも完全になくなったわけではありません。できることからやればいいのです。
 それは国産材だけで日本の建築すべてを補う運動です。輸入をコントロールするような力がない代わりに、更に盗伐材か正当な材かの判断もできないのですから、敢えて輸入材と縁を切り、国産材の質量の向上に専念する方向しかないとも思います。
 これぐらいであれば誰でもできるはずです。

 多くの材木屋が国産材がどれだけ豊富にあるかということさえ知らないのが現状です。いろんな産地の優れた特性を持つ材木を見たことも使ったこともないという材木屋が呆れるほど多いのです。材木屋の組合は定期的に観光旅行には行くものの、産地見学や研修活動などを組織的に行っているところは皆無と言ってもいいようなところです。

 今大手や中堅のハウスメーカー等は無垢材といいながら集成材ばかりを使用しようとしています。しかも輸入材で作った集成材ばかりです。

 もし良心的な材木屋なら、こういった無知に付け込むような販売を何とかして抑えなくてはならないと思うはずです。建築屋でさえ知らないのですから、材木屋がでしゃばってでも教えて、認知度を高めていかなくては、結果的に日本は世界最古の木造建築物である法隆寺等の素晴らしい文化を持っていながら、それを生かすこともできないで世界中でもっともお粗末でみっともない家文化を身につけてしまうでしょう。

 
by MUKUZAIKENKYU | 2006-01-11 10:02 | 木 無垢材 自然

“地産地消”という運動の意義と課題 その1 自立と依存

 最近「地域主義」を前面に出した建築雑誌が数多く出版されています。
 これは野菜や果物の生産地を明記することで、これまでのいわゆる大量販売での「顔が見えない」不安を消し、消費者に安心感を与えた結果、一種のブランド化が促進できた農産業界を真似た運動と解釈していいと思います。

 地域の生産物のブランド化による客層の向上を図ったものとしては評価できます。そして食品においては産地あるいは生産者のブランド化によって、地域特産品の流動化を促進して地域の活性化に貢献していると思います。

 “地産地消”という言葉がありますが、これは産地の生産物の流動化とは反対に産地の生産物をその地域で消費するという意味です。
 その地域で消費するためには、他の地域から持ち込まれる生産物との競争を前提にしていますので、その「特産物」は競争力がなくては生き残れません。

 競争力のない「特産物」を無条件に保護することは、いずれ産地に「甘え」を誘導してしまいます。「甘え」とは、販売努力をしないことです。商品の質の向上はもとより、流通ルートや価格設定などマーケティング活動は、必要不可欠のノウハウですが、そういう努力を忘れ、行政や組合などの機関におんぶに抱っこをし始めると、またしても以前の状態に戻ってしまいます。

 地域の生産物のブランド化は流動化を促進しますが、“地産地消”はある意味保護貿易のようなものです。そうなると隣の芝が青く見えてくるのです。

 日本に限らず世界的にIT化が進行し、情報はネットを通じて洪水のように提供され、私たちは自分の欲しい情報を数万件もあるサイトから選択して閲覧したり取り寄せることが当たり前のように出来る時代になっています。

 これは消費者に限らず、人と人との関わり方にも大きな変化を促しています。かつて相当な範囲でブラックボックスに守られてきた建築業界に、今激震が走っています。情報の公開と透明化は避けて通れない流れですが、その結果選択したり指名する権利が、従来では「元請」と呼ばれるゼネコンや工務店が独占していましたが、それが本来の権利者である住まい手に確実に手渡されつつあります。

 これまでは住まい手は、お金を出してお任せするだけでした。実際の施工工程については、その内容からほとんど知ることができませんでした。このことが建築に携わる者にとってはメリットだったのですが、この20年間で、手抜き工事、ペットボトル住宅、シックハウス症候群、そして耐震などの大きな事件を経て、少しずつではあれ改善されてきました。

 そしてこの七八年間で一気に普及したIT社会は、情報を発信する側と受け取る側という垣根を打ち砕きました。双方の意思で情報を交換し合うことができるようになり、しかも即時に同時的に情報を篩いにかけることができるようになることで、ユーザーの意識は、以前と比べ物にならないほど進化しました。
 消費者(ユーザー)(住まい手)の自立が当然の立場になるのです。

 ユーザーは多くの情報の中から自分が欲しい正確な情報を手に入れることが可能になると同時に、今までお任せで依頼した相手に依存していた関係から自立する方向に向かいつつあります。
 それは依存するメリット以上に自立するメリットの意義に気付いてきたともいえます。

 実は依存する方が楽なのです。責任が発生しないからです。これは建築業界の根底にある意識でもありました。何か問題が発生したら、その責任を仕入れ元にどんどん遡及するというやり方です。
 例えば工事完了後に、床板が反ったとしましょう。板ですから反るのは当たり前なのですが、施主がこれでは困ると文句を言い出した場合、元請業者は施工業者のせいにします。その施工業者は床材を納入した業者のせいにします。今度はその納材業者は商社のせいにします。そうなるとその商社が生産者の責任にするのです。
 「責任のたらい回し」すなわち「責任転嫁」が当たり前なのです。

 この意識を共有した業界とは、別の言い方をすれば、甘え合いであり、依存心のブラックホール業界でもあります。

 この状態を別の角度から見ると、すなわち仕事を通してお金をいただくというプロフェッショナルとしての視点から見ると、このすべての業者に共通しているものは“無責任”であり、誰一人としてプロとしての仕事を果たしていないということでもあります。

 先の例から言えば、最初に問題が発生する前に、その原因になるような要素を予め想定して解決しておくことが元請業者の責任です。これを全うしない限りいつまで経ってもクレームはなくなりません。

 施工業者は実際のプロとしての仕事を行う立場ですので、実際に施工するときにマイナス要因ばかり引き出して逃げ口を予め作っておくようなことはするべきではありません。それでは「私は知識もなければ、要求されている技術力も持っていません」と白状しているのと同じだからです。だったら最初から関わらなければいいのです。ところがそういう業者に限って、仕事を取りたがることが多いのですから、始末が悪い。
 口で逃げ口を探す暇があるのなら、自分の腕を磨くことの方が先決です。

 納材業者でも、単に運搬するだけなら免許証を持っていてちょっと体力に自身があれば誰にでもできることです。それぞれに要求される商品に対する知識とその施工方法、またこだわりのある商品であれば施工業者だけでなく、元請や住まい手にも直接十分な説明ができるほどの知識を持っていなくてはなりません。

 商品説明をきちんとできるようにその現場を管理する者も、その場を設けなくてはならないでしょう。

 このような体制が取れていなければ、いつまで経っても質は向上しません。穴があるのに、その穴を避けてはならないことが分かっているのに、それを平然と避けて通るとき、その業者はプロとしての良心をその穴に捨てていくことになります。

 本当に大切なのはユーザーが自立しつつあることをより促進することです。ユーザーの意識を高めることは情報提供者のみならず実際の現場に携わるものの責任でもあると思います。
 本当の意味でユーザーからいただくお金にそれに見合った価値を意識していただくことでもあります。

 ユーザーの立場から言えば、自立心のない(プロとかを問う以前の問題)業者には、怖くて頼めないのが自然な心理だと思います。でもお互いに依存心だらけであれば、お互いを見抜けません。予めはっきりしていることはまともなものは出来ない、まともなものは手に入らないということです。

 今までの業界の流れではユーザーが自立して物事を選択する力を持つにはまだ相当な時間が必要だと思います。私達のもとに依頼に来られるユーザーのほとんどの方は問題意識を持っています。自立しようと思いつつ、どうすればそれが可能なのかを知りたいと相談に来られます。直接的な言葉ではありませんが、それぞれの立場と境遇から千差万別の意識を持って、多くの相談を持ちかけて来られます。

 でも本当はプロでなくてはならない業者こそがリーダーシップを持たなくてはならないはずです。
 今までの在り方を変え、より高い知識と技術を磨きながら、依存心のブラックホール業界(だからクレーム産業といつまでも言われ続けるのです)を改め、難しい問題には意欲的に取り組み、自信を持てるように自分自身の責任で能力の向上に努めなくてはならないはずです。

 常識で考えてみても明らかです。 
まだ始まってもいないことに予めマイナス要因ばかりを見つけ出し、これはできない、これはやらないというのであれば、会社にとってはただの駄目社員という烙印を押すことになるでしょう。 会社全体でそれをやれば当然駄目会社です。

 自社が受注しておきながら、その物件の施工が難しいから簡単な方法に変更する、今まで扱ったことがない材料だから別のものに変更する、予算上設計に謳われている材料では儲けがないのでより安価なものに変更する等々、これらのやり方は、会社の駄目社員が使う常套手段と同じではないでしょうか?

 もしこれが社内の仕事であれば、上司は、その部下になぜもっと自分の能力を向上させようとしないのかと叱責するはずです。頼まれた仕事は小手先で誤魔化さず、責任を持って最後までやり通せと注意するはずです。
 なのに自社で受注した仕事はまるで反対のことを実行しようと考えるのであれば、何をかいわんや、ですね。

 今直面している問題が、現在持っている知識や技術では解決できそうになければ、解決するために知識を取り入れ、技術を磨いて、一つ一つ乗り越えていくこと。そのことがひいては自社の質の向上に直結するばかりでなく、より多くのお客様に喜ばれ感謝されることにつながり、対価としての報酬を堂々と手にすることができるという成果をもたらす。このことは、プロとしての当然の心構えだと思います。

 どんなときでも、決して逃げず、それを乗り越えるという使命感で、問題と面と向かって、真剣に解決すること。これがプロとしての誇りなのではないでしょうか?

 でなくては、いずれより進化したユーザーからは確実に見離されると思います。そして未熟なユーザーばかりを、未熟な知識と技術で対応してお粗末な結果を演出してしまう。
 それでは今後進行してゆく業界の二極化の底辺をもがき続けることになるでしょう。
(続く)
by MUKUZAIKENKYU | 2006-01-07 16:10 | 材木・建築業界

これからの住まいの必需品 木炭

 木炭のよさは、既にかなり以前から認められています。でも本当の良さを理解して使用されているケースは少ないようです。

 一般的な家庭で使用する目的は除湿が最も多いようです。多孔体の持つ吸湿と吸臭作用を利用するもので、部屋の中に置いておくだけで、かなりの効果が期待できます。
 その他では炊飯時に木炭の切れっ端を一緒に入れておくと、遠赤外線作用が働き、ご飯が立ち、美味しくなるというものです。
 でも実際には化学製品の方が売れ行きがいい。木炭は汚れるからです。そして一旦付着するとなかなか落ちないため、敬遠されているケースが多いことと、原料はほとんどただ同然で、しかもついでにできたものを市場に出している割にはかなり割高だからです。高すぎるのです。

 化学製品は使い捨てができるのに対して、木炭は使い捨てができません。効果が低減したとき、レンジなどで過熱して蓄積された湿気などを飛ばせば、何度でも再利用できるのですが、今の生活スタイルに合わないのでしょう。
 
 木炭の本当の良さは、上記のような効果だけではありません。いやむしろこのような効果は副次的で、本当の価値はもっとすごいのです。

 それは電磁波を遮蔽する建材としての価値であり、もうひとつは乱れた磁場を整える作用があるところなのです。

 現代では携帯電話が数千万台と全国に普及しています。携帯の圏外地域をなくすために、ありとあらゆるところに携帯電波の中継アンテナが建てられています。
 GPSが普及し、宇宙空間からも電波が常時送られてきています。
 田舎の方では比較的電磁波が少ないと思われがちですが、実は高電圧の送電線とその途中にある変電所周辺では、街中とは比べ物にならないほど強力な電磁波と低周波が360度放出されているのです。

 宮崎の綾町は照葉樹林帯で有名なところですが、かつて有数の癒し地でもありました。ところがそのど真ん中を送電線を通すために鉄塔を建設することになり、その後建設されて、大きな変化が発生しました。
 鳥類や昆虫類が激減したのです。滅んだのではなく、逃亡した結果です。

 熊本県のある場所では半径500メートル圏内に3本の電波塔が建設された結果、それに囲まれるようにある団地では住民に健康障害が発生し始めています。その近くに養蜂場があったのですが、この鉄塔が稼動し始めた瞬間に3万匹いた蜂が一斉に逃亡してしまったそうです。
 蜂の持つ精巧な方向感覚を破壊してしまったのでしょう、この蜂の行動はパニック行動です。おそらく全滅したと思います。

 それほど強力な電磁波は、目に見えない浸透力の強い公害なのです。

 これについてここではとやかくは言いませんが、今後はこのような電磁波障害が益々多くなることは簡単に予測できます。

 そして単なる電磁波の照射による障害だけでなく、自然環境でも時々散見されるのですが、都市部では正常な磁場の破壊が確実に進行しています。
 磁場が乱れると、すべての生物は少しずつ異常を来たします。その内容は千差万別ですが、人間で言えば集中力の低下、不定愁訴の増加、がんの発生、脳機能の乱れによる障害(俗に言うキレル現象など)生殖機能の低下と異常等々、既に学会でも発表されている内容です。

 日本の出生率の低下と女性の晩婚化、子供を作らない、あるいはできない夫婦の漸増、そして子供による犯罪の急激な増加は、この問題と無関係とは思えません。

 本題に戻しましょう。ここで注目されたのが木炭という性能です。木炭も、加熱する温度次第でいろんな用途に使用されますが、電気的な特性として摂氏700度以上に加熱すると、本来電気を通さない木は突然金属と同様に電気を通すのです。やり方によっては超伝導体にもなるということです。

 この木炭をペースト状にして壁材などの成型すると、この木炭壁は電磁波を避雷針のようにアースしてしまうのです。

 IT社会はそのまま情報社会です。しかもパソコンなどのコンピュータを端末として洪水のように情報が発信され、交換されています。携帯電話はまさにモバイルパソコンと同様の価値を目指して進化しています。
 これを換言すると、 IT社会=情報社会=電磁波社会になります。
 電磁波の有害性は携帯が普及し始めるときから指摘されていました。

 なぜか最近あまり言及されないのですが、一般家庭で「もてはやされている」?IHヒーターなどはまさに電磁波の塊のような商品です。

 現在ある程度木炭建材が開発されていますが、いまだ需要を開拓するものにはなっていません。高額商品だからです。それに生産量が少ないし、供給側の意識が低い点も、市場に浸透しない原因のひとつだと思います。販売する側にミッションがないところが多く、単に金儲けの新製品ぐらいでしか思っていないからです。

 この木炭建材は、公害対策製品として、官がかかる費用の半分を負担しなければならないほど重要で普遍化しなければならない製品だと思います。
 今まで普通に取り扱われてきた壁材としての石膏ボードなどは、大地に戻ることのない産廃商品ですが、木炭は当然大地に戻る自然素材なのです。

次回は木炭の磁場整調作用についてです。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-01-05 10:01 | 木 無垢材 自然