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家・住まいの健康 その11

いい家には風格があります。

 多くの家を見てきました。意識的に注意深く、出来るだけ多くの家をいろんな角度から調査すると、これはと思える家は、必ず深い思いの元で入念にデザインされた雰囲気があります。

 一般にセ●●●ハウスや●●●業、ミ●●ホームなどは、実際の平均契約坪単価は60万円ですが、このメーカーのうち、比較的デザインに優れたところは1件だけです。

 骨太の家というFCが一時はやりましたが、今では聞くこともありません。構造的な強さだけを前面に出しても、家の格好がパッとしないと売れません。

 最近耐震性を強調するコマーシャルやビルダーのチラシをよく見かけますが、その家たるや何とも無様な家ばかりです。想いの底の浅さが透けて見えてきます。

 有名なメーカーによる家は、一見格好良さそうに見える仕様が施されてはいるのですが、本格的な建築家の設計による家には到底及びません。比較すると、見映えだけに工夫を凝らしたところが見え見えで、色褪せて見えてきます。

 家自体の健康度はやはりそこに使用されている材料の基本的な質の高さで決定されます。

 一般的な地域ビルダーや大手ビルダーも、そういったところにはほとんど関心がありません。関心があるのは、如何にして安く仕入れるかであるため、質が犠牲にされている現実があります。挙句の果てには集成材などを持ち出す始末ですのでうんざりします。

 前回の悪徳建設会社は別格としても、構造材に鉄骨や合板を使用している家や住まいは、どう外観を誤魔化しても、安っぽくて貧相な印象は避けられません。

 ここからは『家・住まいの精神』編に関わるのですが、家や住まいも、人間と同じようにオーラを出すのです。

 純和風の家でもモダンな家でも、素材が悪いと何も発するものがありません。どんなに意匠を凝らしても、コストダウンのために犠牲になった材料では、その意匠を生かすことは出来ません。
 その逆に簡素な家でも、古民家風の家でも、良い素材を使用している家には人をひきつける何かがあります。

 無機質の素材ばかりを使用した家でも、それが人の想いやイヤシロチから取れた石などであれば、石そのものが何かしら膨らんで見えることがあります。

 先ほどの建設会社では、何でもかんでも最低の素材と建材を使うために、そして施工業者を泣かせて建てたためか陰気なものを感じます。
 近くの新興住宅地では多くの家が今も建てられていますが、まるでおもちゃです。皮相な流行ばかりを追って、同じような家ばかりが並んでいます。
 一軒一軒の住まい手には気の毒なのですが、建築を依頼する先を間違えると、結局同じような家ばかりが乱立することになり、その没個性の街並みに住まわせられる羽目になるのです。

 買うときは数千万円という大金を支払ったはずですが、建ったときが最高で、それ以降は失望と後悔の中で、数十年間に渡ってローンという借金の返済に追われることになるのです。

 住まい手の方は、ご自分の思いと予算がなかなか合わずに苦労されたと思います。
 だからこそ中途半端な気持ちでいると、依頼先を簡単に間違えてしまうのです。

 このことは多くの建築家に対しても同様のことが言えます。単に便利な素材やクレームが来ないといった本末転倒の発想で選んだ材料、あるいは単に予算に収まる材料は、自分の設計力自体の低下を招きます。より良い建築家であるためには、消極的な動機では決して材料を選んで欲しくありません。
 プライドは、知識や技術、意匠性ばかりではなく、建築家としての良心も同時に反映されていなければ、決していい家を提供することはできないと思います。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-25 20:03

家・住まいの健康 その10

 ここで述べている健康とは、そこに住む人の健康についてではありません。家や住まい自体の健康について述べています。

 健康についての最後の章になりますが、健康を保つのは、その骨格であり、素材の良し悪しで決まります。

 価値観が異なればそれでいいということではなく、健康であることで、その幸福を享受するためには、健康であり続けることを見逃してはならないと思います。家でいうと、理想は限りなく長持ちすることです。

 しかしながらこの地球上で永遠不滅なものは絶対にありません。必ず腐朽して、いつかは死滅します。種としての継続性は、生と死とをつなぎ目にしながら、種は維持、そして進化していきます。 
 そしてこの視点を持つことが、家や住まい作りには欠かしてはならないものだと思います。

 人間はやがて確実に訪れる自分の死という経験したくても出来ない経験に対して、宗教的観念を持つことでこれを克服しようとしてきました。
 死を意識できるのは人間だけです。だからというわけではありませんが、多くの文化文明を創造し、人類に多くの遺産を残してきました。

 それはすべてが正しい遺産というわけではありません。自然破壊や戦争、貧富差、支配と服従、有限資源の奪い合いという結果も数え切れないほどあります。

 宇宙の絶対的な法則は人類に対して進化と向上以外は認めませんので、それに反する一切の行いは滅亡するしかありません。世界の4大文明とはいっても、どんなに優れた文明を持っていたとしても、どこかが間違った結果滅亡したのです。

 かなり大きな話になりましたが、これは家づくりの哲学として予め押えておかなければならない点だと思います。

 人間に死があるように、人の手で建てられた家にしても、やがて必ず死が来ます。
 この死を見つめながら家づくりを考えるとき、本物の家づくりの契機が生まれるのだと思います。


 今の日本にあるハウスメーカーや地域ビルダーは、99%がその視点を持っていません。家を造り販売するのですから商売ではありますが、商売に哲学がないと、実に底の浅い目先だけの利己的な欲望を動機にしか出来なくなります。

 20年、せいぜい30年しか持たない家や、建てて5年もしないうちにあちこち修理やリフォームをしなくてはならないような家があまりにも多すぎるのです。
 その原因には、実際に家づくりをする工務店や住宅会社のレベルの低さもありますが、家を求める住まい手自身の意識の低さにも大いに問題があると思います。
 住まい手の意識の低さにつけ込んだ販売をしている住宅会社(建設会社、工務店)が、あまりにも多すぎるのです。

 ここで実際の例を出します。
 私たちが知っているある建設会社(北九州市八幡東区)では、お客さまである住まい手には「知らしむべからず、よらしむべからず」で、本当の中身を伝えず、実にあくどい商売をしている会社があります。
 住まい手はよく文句を言わないなあと不思議だったのですが、調べてみると、融資を断られた住まい手ばかりを相手にしていたのです。

 つまりその建設会社は、普通とても家を手に入れるための十分な資金を持っていず、金融機関からも融資を断られても仕方がない「住まい手」に、お金を貸してやっていたのです。

 表は建設会社で、裏では金貸しをやって、顧客には文句を言わせないような立場で契約をしていたのです。そのせいかその会社の社長は、家のことは全く知りません。むしろあまり興味がないと思います。だから最低の家しか建てません。
 お客さんには文句は言わせない。家の質は最低。その社長は一戸家を建てるたびに、1500万円以下で契約して、最低でも500万以上の粗利益を稼いでいます。
 協力業者には契約段階で叩くだけ叩いた後に、支払日が近づくと、その支払金額から5%分の金額を値切る電話をする趣味を持っています。

 こういう品も格もない商売をする建設会社は、他の建設会社や業界のためにも、この世界から一刻も早く退場してもらわなければならないと思います。
金貸し専業ならまだしも、卑しくも建設会社を名乗り、二重にお金をかき集めているのですから、開いた口がふさがりません。
(続く)
 
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-25 11:38

家・住まいの健康 その9

木造住宅の法定耐用年数は何年だと思いますか?

22年、です。

住宅ローンの最長契約年数は? 30年です。

22-30=-8年

 自分の家が法定耐用年数通りに22年で老朽化して建替えなくてはならなくなっても、その家のために後8年間は余分に返済し続けなくてはならないことになります。

 これでは家に投資する人はいなくなります。でもこれはあくまで自己資金の足りない人が家を持つ場合のことです。

 戸建ての自宅が欲しければ、まず自己資金ですべて賄えることを前提に考えた方が利口というものです。

 でもたった22年間しか持たない木造住宅とはどんな家なのでしょうか?
 「安かろう、悪かろう」の家です。

 何でも安いに越したことはありません。しかし見境なく安いものを求めれば、本当に良質の世界から三行半を突きつけられるでしょう。

 一般的な傾向ですが、無数ある「総合建設業」を名乗る一般工務店では、この傾向が特に強くなります。安いものを求めすぎて、自ら本物の世界との縁を切ってしまうため、本当にいい物を求める住まい手には全く対応できないのです。

 このことを「ローコストにはまったローリング・ドロップ」と言います。つまり自分で自分の首を絞めて、窒息しそうになっても気がつかない状態です。

 王国を見たこともない者に王国の話をしても通じるわけがありません。王国に入るにはコストがかかります。誰でも彼でも入れるわけではないからです。真剣に求める者にのみ門戸は開かれます。だからその人には熱意というコストを当然のように要求します。

 そしてそれが理解できる者だけが初めて知りうる世界を経験できるのです。

 22年でも、以前の30年でも、大して変わりません。木造住宅をなめきった定量化だと思います。なめられる木造住宅業界にも問題はあると思います。

 誤解を恐れずにいって、戦後高度成長期から始まった住宅ブームの際から、すべてではありませんが、多くの地域で「住宅のバラック化」が促進されました。

 そしてその当初は一棟の家を建てるのに、最低でも6ヶ月間から1年以上の時間をかけていました。ところがツーバーフォー住宅などの輸入住宅が導入されるようになって、工期の短縮が最優先課題になってきました。

 在来工法とアメちゃん工法とでは、元々発想から異なるのですが、単なる見かけだけの比較に走った一部のハウスメーカーはそんなことも理解できずに、現場の生産性を至上課題にしました。

 建築現場の生産性を追求するのに適したものが、いわゆるツーバイフォー住宅です。この工法には、大工は要りません。つまり大工の腕を見せるところがない工法であるため、如何にして一日でも早く家を建てられるかが比較基準になるのです。

 このことは、家・住まいの精神と社会編で述べるつもりですが、いわゆる木造住宅の質の低下を招いた原因のひとつでもあるため、敢えてここで挙げて見ました。

 木材流通の世界では、このような動きに対してどのように対応したのでしょうか・

 一部の輸入業者がいわゆるツーバイ材を仕入れるようになって、国産材は駆逐される動きがありました。それほどまでに国産材の質は低下していたと言っても過言ではないでしょう。生材で、しかも樹齢が30年行かないような木を市場に流していたために、乾燥による痩せ(縮み)や暴れ(反りや割れ)というクレームにはほとんどの業者が無頓着でした。

 ツーバイ材は、その点生産を追求する米国にあっては人工乾燥は生産工程に元々組み込まれていたために、日本に上陸すると、たちまち人気を博したのです。しかも米国産の木は日本のような中小径木ではなく、大径木ばかりですので、ある程度品質が均一でもあるため日本国内にあっても重宝されたのです。

 しかし悲しいかな、米国産の木は少雨の温暖な気候の元で成長した木ばかりです。日本のような高温多湿でシロアリの多い土地ではひとたまりもありません。

 それにこの工法には、日本のような家屋に絶対不可欠の柱や梁に該当する材料がありません。すべて間仕切という壁、床剛性をそのフロアだけで完成させる方法ですので、小さな部材をいくつも重ね合わせて使うために、日本の家づくりの基本である「出来るだけ金物を使わない」という発想とは真反対の「出来るだけ多くの金物を使う」のです。

 とはいえ市場原理が働き、国産材は二等品扱いされるようになりました。工務店が買い叩き、それに輪をかけて材木屋までも国産材を買い叩きます。

 フィーバーという病気に犯された不健康極まる市場に翻弄されたのです。

 本当ならば、この動きに対して心ある建築家や材木屋が声を大にして市場を健全化しなければならなかった。実際に鑿(のみ)を入れる大工さんには情報を発信する力が足りませんでした。

 米国流の生産性と在来工法での生産性とは、使う部材から異なるため、同じショーケースには入れられないものなのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-21 17:51

ちょっとコーヒータイム 健康その9に入る前に

 当会ではウッドデッキを販売しています。
 人体にはほとんど影響しない薬剤で防腐処理をした針葉樹製です。タイプ別にプレカットして、お客様の住所に直接お届けしています。

 別に宣伝ではないのです。最近のデッキ材として採用されているいろんな木について、どうも納得できないことがあるため、少しコメントさせてください。

 そのひとつがバツという木です。正式にはセランガン・バツと呼びます。他に似た木でバツ・メラという木もありますが、バツと比べて耐久性がはるかに落ちますので注意した方がいいでしょう。

 このバツという木。非常に硬くて重い木です。そして耐候性も高いため外部のとりわけ傷みやすい部分であるデッキの床材に多用されています。

 バツ製のデッキ材は、供給する側である材木屋や工務店にとっては、割れたり狂ったりしにくいためにクレームが発生にしにくいところに最大のメリットがあります。

 これを別の角度から見てみると、悩ましい問題点が浮かんできます。
 それは硬すぎる点です。

 公共施設などのように多くの不特定の人々や建築物が建てられるところにあっては、とにかく強度や耐久性が最優先されるので、バツより更に強く粘りのある木が求められます。
 ウリン、イペ、ジャラといった南米材や南洋材がそれに当るでしょう。これらはすべて広葉樹です。

 バツという木は粘性においてはそれらの木よりも若干劣りますが、とにかく硬い木です。硬さだけでいえば、最高級の部類に入るでしょう。
 そういう性質の木が一般家庭のデッキの床に使用されるとどうなるでしょうか?

 デッキには耐久性も大切ですが、それより以前に、人がデッキ材に求めるのは、くつろぎなどの癒しではなかったのではないでしょうか?
 それがハンマーさえ弾くほど硬い木で床が作られているとしたら、その上を歩く人やペットはすぐに疲れてしまうのではないでしょうか?

 一般的に建築家も工務店も材木屋も、全く疑いもせずに指名して採用していますが、ホントにそれでいいのでしょうか?どうもいぶかしい。

 塗装しても、デッキなどに長時間使用すると、雨や紫外線の影響を受け、表面は次第に劣化します。これは鉄でも同じ結果になります。最近は産廃のプラスチックを廃材の木に粉砕溶融させた合成「木材」?「プラスチック」?なども出回っていますが、笑止千万です。

 木の成分であるセルロースとリグニンを接着剤代わりに利用して成形したプラスチック製品といった方が正確だと思います。感触は破砕されたセルロースがプラスチックのテカリをなくしていますから、それと分からないように出来上がっているのです。

 さてバツという木で仕上げられた床材は、野晒日ざらしのもと、次第に劣化していきます。生命資源ですから、どんなものでも劣化する運命から逃れようがありません。その結果どうなるか予想できるでしょうか。
 合板に使用されている木は一般的にはラワンです。これも南洋材です。最近では違法伐採があまりにも多くなり日本でも輸入規制が強化されつつありますが、これらの南洋材は毛羽が立ちやすい木です。
 合板を持ち運びするとき、エッジの部分で錐バリが刺さることがよくあります。

 製品としては鉋で表面を仕上げてきますので、そのときは艶がありツルツルです。しかしこれが劣化していく過程で、表面は少しずつ繊維の結合状態が緩み、毛羽が立つようになります。
 ホンの小さなものならばそれほど気にもならないのですが、デッキなどはペットはもちろん、人も裸足で歩行することが多く、地肌にその毛羽が直接当ることになります。

 劣化が進行すると、毛羽は大きくなります。いわゆる錐針(すいばり)になります。これが足の裏に刺さる可能性が高まるということなのです。
 土足専用ならまだしも、家庭のデッキには不向きなのです。

 ほとんどの人はテレビや雑誌に紹介されているから大丈夫だと思い込んでしまいますが、同じデッキ材でも使用環境や使用目的に応じて木の性質を考慮しないととんでもない結果を惹き起こすことになるのです。

 硬すぎる木には、人を癒す効果は期待できません。

 一般家庭での裸足で歩く可能性の高い床材には、耐久性をある程度犠牲にしても、足が疲れない、そして経年劣化しても表面のめくれが起きにくい木を使用しなければならないのです。

 そういう意味からも、水質に強く、繊維がしっかりと締まった、更に適度な弾力性と軟らかさを持った木という意味で、日本の杉や桧、ヒバやサワラ、ネズコ、高野槙などの国産材が最適なのです。

 これからデッキ材を探す際には、重要な条件ですので、しっかりと覚えておいてください。

http://www.h3.dion.ne.jp/~yamaiti/
 
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-17 19:38 | 木 無垢材 自然

家・住まいの健康 その8

 前回では、生材すなわち全くの未乾燥状態にある木を住宅などに使用すると、家が建ってからも乾燥しつづけるために、収縮が起き、木同士だけでなく、木が接しているすべての部分で「緩み」が生じると述べました。

 そしてその収縮は単に縮むのでありません。元の形のまま縮むではなく、異方向に歪(いびつ)に縮みます。元々丸く育ったものを四角くカットするのですから、当然なのです。

 木は当然自然の生物であり、それぞれの特性に応じて成長します。それは同じ人間でも人種があり、食生活が異なれば体格、骨格も異なるように、木=樹も同じ植物ではあれ、数千種類あるだけでなく、その樹が育つ土地環境によって全く異なる様相を呈します。

 皆さんがご存知のように、樹は大体円筒形をしています。それは芯があり、同心円状に成長するからでもありますが、ここでは難しい理論は省きますので、姿かたちだけを思い浮かべてください。

 その樹には芯材部分と側の方の辺材部分があります。それは針葉樹では色合いから成分まで異なります。水分の粗密も異なります。

 こういった元々丸い形をした樹が伐り出され、人間の生活に活用される場合、ほとんどのケースで四角く製材されます。あるものは柱や杭に、梁桁や板材、鴨居や敷居などの造作材にも利用されます。

 そのため同じ一本の製材品とはいえ、芯材を含むものがあれば辺材ばかりのもののあります。色も異なれば、当然木の組織が異なるために水分の粗密も異なる箇所がたくさんあるのです。こういう性質を持ったものが木ですので、そのまま無頓着に使用すれば、乾燥途上で木がいろんなパターンで変化することは容易に想像できることです。

 ここでは詳しくは述べませんが、そういう性質を持った木を先人は、まず丸太のままである程度乾燥させる方法(葉枯らし乾燥と呼びます)をとりました。その後は、完成品になる前の荒削りの状態まで製材して、再度乾燥させます。

 そして十分に乾燥させた後に初めて仕上の加工に取り掛かる工程に入ります。それまでの乾燥工程はすべて天然乾燥と呼ばれる方法で、外気に触れさせ、中の水分が蒸散するのを待ち、木の成分や組織が傷まないように時間をかけて行うのです。

 この方法は木に艶を出します。

 ところでこの方法は、現代においても産地によっては伝統的に行い続けているところがあります。また最近では、この乾燥方法がいかに優れているか理解した建築家やグループによって意識的に採用するところが増えつつあります。

 しかしながら戦後の日本では、復興期から高度成長期に、産地の職人の多くが戦死しただけでなく、鉄という鉄が当時の日本軍部によって接収されたために、そして多くの有用な木が燃料として伐り出されたため、植林を開始したことはいいとしても、目前の需要に応えるすべがありませんでした。

 そこで大量の外材が輸入されました。製材される直前まで、丸太はそのままの姿で港の隅の貯木場に浮かべられます。そして必要となったら陸揚げされ、市場に流通し、建築現場に2週間を経ずに届けられます。

 こういった輸入材の市場流通の在り方は、日本独特の乾燥方法を駆逐することになります。生産から消費者の手元までの工程ではショートカットは必要ありません。むしろ工程が透けて見えるようにしなければ、本当の意味で消費者の支持を得ることは出来ないはずです。

 ところが日本では生産から消費までの工程をショートカットすることで、流通の多くの無駄な部分を温存することになりました。ここでのショートカットは、工程が実際になくなるわけではありませんから、その工程をブラックボックス化する結果を招きます。

 これは木材業界だけの問題ではありません。建築業界に関係するすべての業種に当てはまることです。ごく一部の良心的な業者やグループを除き、住宅会社や工務店を中心に、このブラックボックスを自社の独占的な利益誘導に利用するために、より固定化する方向に業界自体が馴れ合い、足を引っ張りあい、出る釘を打ち合うことが習俗化することになったのです。

 ブラックボックス化された業界内の流通は、いわゆる馴れ合いの取引関係を優先します。商品の品質は最低でも、結構な高値で取引され、しかも多くの中間業者が介在するため(一部の業者の利益誘導のためにわざと中間業者の参入障壁を低くすることが当たり前でした)結果的に消費者が多くのツケを支払わされる羽目になります。

 正当な価格であれば高値でも当然ですが、無駄な中間費用が嵩んだ結果の高値は、百害あって一利なし、です。

 話を元に戻しましょう。
 この10年間で乾燥は当然の処理工程に含まれるようになりましたが、それまでは見向きもされませんでした。需要がなかったわけではありません。しかしほとんどの取引現場で無視されました。

 その結果未乾燥材が全国の市場に充満することになりました。
 それは日本の住宅がお粗末を通り越してバラック化する引き金になったのです。


 誰が悪いのかという責任論を出してもあまり意味がありません。当時は皆が足元を忘れて駆け出していた時期だからです。ただその結果は必ず来ます。どんな結果にせよ、それは敢えて受け止めなくてはなりません。

 米材や南洋材の直径1メーターをはるかに超す大径木がどんどん輸入されました。この輸入材に国内の産地は遅れを取りました。
 そのため価格競争に巻き込まれるだけでなく、市場に出荷するスピードを速めようと、肝心の乾燥工程を無視しました。また無視しなければコストが合わなかったのです。

 その結果国産材の市場に出回る製品はどんどん質が低下していきます。
 
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-17 10:51

家・住まいの健康 その7

 未乾燥の木の柱や梁で造られた家は、その時点では本来の木の強さを発揮できません。

 とはいえ、だからといって家が建たないか、建ててもすぐに壊れるのかといえば、応えはノーです。

 実際に全国各地で、この瞬間にも木の家の上棟が行われているはずです。上棟の最中に倒れたなんて話は聞いたことがありません。これは事前に柱や梁がバランスよく配置されているから、つまり一本の柱で家屋の全荷重を支えているのではなく、多くの柱や壁で荷重を分散して、地上に逃がしているために倒れないのです。

 前回では強度の観点だけから言えば、集成材を使って建てた家は、住まい手に引き渡したときがピークパフォーマンスで、それ以降は徐々に接着剤の劣化とともに強度は劣っていきます。

 未乾燥の家も、同様だと言いました。その理由は未乾燥だからというのではなく、上棟して以降徐々に乾燥していきながら強度は増していくのですが、乾燥による縮みという点からは強度上の問題が増えるということなのです。

 未乾燥状態の木は、乾燥途上で独特の動き方をします。この現象が建築施工上あるいは住まい手が生活する上で支障が生じるとき、俗に「暴れる」と呼びます。

 木の特徴のひとつに、調湿効果があります。つまり外気が乾燥していれば、木自体に含まれている水分を放出し、その反対に外気の湿度が高くなると、その湿気を木が吸収する「動き」を指します。
 その結果、室内の湿度が常に一定に維持されるため、その中に住む人にとっては、いつも快適さを得られることになります。木の家の最大のメリットといってもいいと思います。

 ところでそういう木が、家に用いられるためには、まず立ち木の状態時での含水率はかるく100%であるため、使用に耐えられるまでの含水率に落すための乾燥する期間が必ず必要になります。

 一般的に柱等の構造材用として市場に出回る時点では、含水率は30~40%はあるでしょう。じゃあ出回った瞬間に売買された木は、すぐには使えないじゃないかという反論が予想されますが、実際その通りなのです。

 本当に木の家やそこに住む住人のことを考えれば、含水率がしっかり落ちるまで絶対に手を出してはいけない代物なのです。

 ここからいわゆる「市場原理」という“業界の常識は世間の非常識”が横行するのです。

 この「市場原理」については、今後の『家・住まいの精神』編で詳しく述べるつもりですので、ここでは結果だけを述べます。

 この「市場原理」が働くと、正義なんて何の力もありません。
 正義とは、本心良心に悖らないことです。


 そのため未乾燥材というより、ズブズブの生材が堂々と販売されるのです。生産者から材木屋や大工工務店に、それはハウスメーカーや地域ビルダーを通して、家の部材として住まい手に渡されます。

 生ですので、水ぶくれのフニャフニャで、木本来の強度など望むべくもありません。

 鉋をかければ中の水分がどんどん出て来ます。柱として立てれば、土台との接合点周辺は落ちてきた水分でビショビショになります。梁として使うと、スパンが広ければ広いほど自重でだれてしまいます。

 そしてじわじわと乾燥するに連れて、乾燥による収縮が始まるのです。生材は釘などの金物を錆びさせる一因になります。

 折角土台と柱、柱と梁や桁は寸分の隙間もなく緊結されていたにも拘らず、この収縮が進むに連れて、少しずつ隙間が生じ、ボルトは緩くなってしまうのです。

 生材で造られた家は、上棟後一年も経つと、しっかりと締め付けたはずのボルトが指先でくるくる回るほど緩んで、縮んでしまうのです。

 その意味から、引き渡したときが強度のピークといったのです。それは木本来の強度ではなく、家全体の締まりという観点からの強度です。 

 生材が乾燥すると、単に収縮するだけではありません。もうひとつの問題が同時に発生するのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-15 14:32

家・住まいの健康 その6

 細い柱、細い梁桁で建てた家には、耐久性を期待できない。

 木の家での耐久性は、設計(間取り、庇その他の設定)、仕様材料の質(乾燥度、大きさ、樹齢、木取その他)で決まります。

 もちろん家が建つ環境にも影響されます。いつも湿気が滞るような場所、光や風が入らない場所、地盤が不安定な場所等では、家自体がどんなに立派に造られても、腐朽菌に犯されやすいため長持ちしません。

 木の家では適度な換気が絶対不可欠です

 しかしながら戦後の木造建築の傾向は、換気は強制換気に任せて、家自体を支える木に対する配慮がほとんどありません。
 最近の法律では、住人の健康を守るための換気として強制換気を義務付けるようにしていますが、本当の根拠は家の内部に充満するシックハウスの原因物質を排気することです。

 つまりそれは結果として住人の健康を守ることにつながるかも知れませんが、むしろ現代の家づくりに使用される多くの建材や木材、設備などに、健康を害する恐れのあるものがあり、それは既存の建材メーカーの商品を使用している限り、シックハウス症候群の原因物質は取り除けないということを証明しているのです。

 大手企業の利害を優先して、家づくりの本質的な問題を解決することから大きく後退しているのです。

 外壁材と内壁材の間には、戦後の建築方法では空気が流動していませんでした。そのため壁内に湿気などの水分が滞留して、内部の木などの部材を腐らせていました。

 その後問題が発生したために、通気工法といって外壁とその下地の間に空間を設けて、空気が流れ、湿気がこもらないようにしました。外壁材は窯業系の板で作られているため、全く通気しない建材であるための苦肉の策です。

 細くて、しかも乾燥していない木で造られた家は、引き渡したその瞬間がピークで、それから徐々に劣化していく運命にあります。

 単に材料が細いから家が長持ちしないのではありません。太い木との組合せで、家の荷重を分散するなど工夫が出来ていれば問題は軽減されるのですが、実際の家づくりでは、昔からあった大黒柱は排除され、すべてが同じ大きさの柱で作られるようになってしまっています。

 柱や梁が呼吸できる構造の家でなくては、木自体が傷んでしまいます。

 ましてや木の規格が細いと、火災に対する強度が著しく失われてしまいます。

 そして乾燥が十分でない木は本来の強度がありません。木は乾燥して初めてその力を発揮するのです。

 最近ではいい乾燥材が入手できないからと、集成材を利用しているビルダーが多く見かけられますが、これは本来の家づくりから逆行していると言わざるを得ません。

 所詮小さな木片を化学的な無機接着剤で柱や梁に成形したものが集成材ですので、小さな木片は無垢材の良さを取り除いたものですから、耐久性は全くありませんし、接着剤自体時間の経過とともに少しずつ劣化していきます。

 集成材を使用した家の強度は、その家が建てられたときがもっとも強度があり、やがて確実に劣化していくのです。

 未乾燥の木を使用した家では、木は徐々に乾燥していきますから、ゆっくりではあれ強度を増していきます。集成材の家よりはまだましですが、ここから未乾燥の木を使った家の問題が発生するのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-11 20:21

家・住まいの健康 その5

 人間の肉体を支える主なものは骨格であり、筋肉です。

 家や住まいで、これに該当するものは、一般的に構造材と呼ばれている柱や梁・桁、土台になります。工法によって異なりますが、その他に束や母屋、棟木(隅木)も該当します。

 この二三十年間で、これらの構造材がどのように変遷していったか検証してみましょう。

 地域によって若干異なるのですが。一般的な認識として、柱や梁の大きさでは、厚さは最低でも120㎜以上ありました。通し柱などは150㎜の角材でした。それが今ではどれもこれも105mmの厚さが前提になってしまっています。通し柱は規格品が120㎜角で、それ以上の大きさは特注品として取り扱われます。

 これは建築基準法がそれでよいと規定しているところから、建築コストを下げるために、使用する木の総容積を削減することが当たり前のようになっているのです。
 法律が認めている最低限の規格だから、別に問題はありませんが、これを人間が生活する空間を維持するためばかりでなく、家という躯体をより長く維持するという耐久性の観点から見るとどうなるでしょう。

 実際に105㎜厚の規格で家を造ると、通し柱の大きさは120㎜角が使用されます。通し柱は一階から二階まで一本の木で作られています。通し柱とは、家という躯体を一二階を一体化して耐久性を高める役割を担っています。

 ところが、二階の床を作るためには梁や桁を通して、それぞれの柱に緊結しなくてはなりません。通し柱は一本の木(長さは通常は6メートルあります)ですから、一階の梁桁を支えるために、その高さに最低でも二方向から仕口が入ってきます。つまり穴を二方向から開けるのです。そうやって仕口が出来た通し柱には、果たして本来の一本の木として家を支える強度はあるのでしょうか。

 穴を開けた残りの部分は30~35㎜の幅の面がひとつの面に二箇所しか残っていません。
 実際にそうして出来た通し柱を高さ1メートルから落としてみると、簡単に折れてしまいます。

 ホゾの大きさは変わらないとすれば、通し柱の本来の強度を保つためには、最低でも150㎜の角材でなければなりません。
 それでも現状では120㎜角の通し柱が堂々と使われています。

 在来伝統工法の良さは、いろんな見方がありますが、そのなかのひとつとして構造美があります。より簡素にして単純化することによって、無駄をなくしつつ、強度を保つ方法ですから、それに使う木の大きさは重要なポイントになります。

 人間の体でたとえれば、折角親からもらった太い骨からカルシウムを除いて、わざと細くしているようなものです。肉体をくまなく流れる血液は、骨の中から作られているのですが、柱や土台、梁を細くすることは、単純に躯体の強度を去勢しているのです。

 無垢材の柱や梁は人体の骨のような造血はしませんが、室内の湿度を調節するだけでなく、もし火災が発生しても、住人が逃げ出すために十分な時間を作ります。
 そしてある程度燃えても、表面に炭化層を形成して、それ以上の燃焼が進行しないように作用するため、家が崩れ落ちることがないのです。

 でもテレビなどで見る火災現場では、家が崩落しているシーンが見られますが、それは必要な大きさの木で躯体を造っていなかったから起きたことなのです。

 米国産のツーバイフォー工法(輸入住宅だけでなく、ツーバイシックスと呼ぶものも同一)は、ひとつの部材の規格を最低限の大きさにして、仕様箇所に応じて張り合わせて大きく使うやり方ですから、構造美などありえません。
 この工法は木に触れて木を楽しむことは考えていません。

 それにまた、一本一本の規格品の木が実に小さいため、もし火災が発生して、このツーバイ材に燃え移ったならば、瞬く間に跡形もなく燃え尽きてしまうでしょう。

 日本の伝統工法は、元々は木の素朴さや自然の豊かさをそのまま感じ取ることが出来るように工夫した工法ですので、部材としての構造材は、単純さの良さを前面に出すためにも、ある程度の大きさが必要だと思います。

 ツーバイフォー工法の木を割り箸のような規格品とするならば、在来伝統工法の木は最低でも一本一本顔の異なる木でなくてはならないはずです。

 いわゆる木造住宅といって、木を活かさない作り方は、単に住まい手を欺いているだけなのです。こういった基本的なことさえ全く知らない工務店や住宅会社があまりにも多すぎます。
 近くに100件の工務店があるとしたら、90件以上は、そんなことさえ知らず分からずに、「木の家」を造って?いるのでしょう。

 日本の伝統工法は、日本にあってこそ、日本独特の危機に対応して作られています。それは火事であり、台風であり、豪雨であり、地震なのです。もうひとつ付け加えれば、高温多湿という気候風土です。

 だからそれらの危機に個別に対応しているのではなく、総合的に対応しているのが、日本の伝統在来工法なのです。

 それをいつからか日本のエリートダラ官僚と西洋かぶれした知識人が、その本質的な智慧の結晶としてのこの工法をバラバラにしてしまったため、虚弱な家が横行したともいえるのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-10 14:40

家・住まいの健康 その4

これからの時代は、本物を問い、本物を求め、本物に生きる時代です。

 このサイン(シーニュ)こそがすべての中心にあります。

 家の主役は住まい手です。だから家に関わる住宅会社や工務店は、この住まい手を取り込むことに血眼になります。

 そこには本物もあれば、ニセモノもあります。住宅に関わる業者のすべてが正しいということはありえませんし、最近も強度偽装事件から住まい手を騙す詐欺事件へと発展しました。そして更にコンサルタントという存在が如何に暴利を貪っているかも明らかになりました。

 高すぎるコストはすべてユーザーである住まい手に転化されていることも明らかになりました。

 住まい手を取り囲む、宣伝などを含む情報は、多くの虚偽に満ちています。虚偽までいかなくても、実際を反映しないキャッチコピーが溢れています。

 だからそのために本物の情報は、多くのニセモノの情報の後に追いやられ、単に見回しているだけでは絶対に知ることが出来ない構造になってしまっているのです。

 本物の情報を手に入れたければ、そういった周囲に当たり前であるかのように立ちふさがっているニセモノ情報を、自分の手で取り除かなくてはならないようになっているのです。

 多くの宣伝文句は、住まい手を怠けさせるための情報です。出来る限り何も考えさせないように、何も動かないように仕向けて、とにかく楽をさせて、住まい手の目と手足の自由を奪ってしまうのです。

 こういう仕掛けを“便宜”を尽くすというのです。

 そしてこういった情報が氾濫し、当初はその原因が分かっていたとしても、時間という魔法が掛かると、その原因さえ見えなくなって、そして知ることさえできなくなってしまうのです。

 いつの間にか、歴然とした“ニセモノ”が、昔から存在した「本物」であるかのように振舞い、それを誰も疑うことさえしなくなるのです。

 それは住宅産業においても根付いてしまっているのです。

 住まい手の方々には、是非とも“本物”に“気づいて”ほしいのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-09 20:58

家・住まいの健康 その3

 健康編 その1と2で述べたことを要約すると、人間の虚弱さは家でいうと構造材そのものが虚弱であること、構造材の組合せが虚弱であることになります。

 そしてもうひとつはいわゆる地震対策の家よりも、一年を通じて頻繁に訪れる災害に対する対策が施されている家の方がはるかに大切だということです。

 確かに東海・南海地震の危機が迫っているといったことが頻繁に報道されています。この10年間で、阪神淡路大震災から中国地方、新潟、福岡と、被害の甚大な地震が発生しています。
 印象が強烈なだけに、住宅メーカーにとってはユーザーの恐怖感を煽って耐震住宅を買わせるにはいいチャンスなのです。

 これに追随する地方の住宅会社もたくさんあります。

 でもこれらの傾向は一種の流行であって、本質的な家づくりとはほとんど無縁なのです。

 別に○○対策などとわざわざ銘打つこと自体が愚かな発想なのです。家が頑丈に造られることは、家づくりの前提条件ですから、それをとってつけたような仕様にすること自体が、そのビルダーなり住宅会社は、今までそんなことをやっていませんでしたと言っているようなものなのです。

 頑丈で耐久性が十分であること。当然の発想ですが、これまでの、とりわけ戦後のメーカー主導の家づくりは、建材メーカーとタイアップして建材のショールームとして施工されてきました。

 だから化学製品や二次加工製品が家の中や外に圧倒的に持ち込まれたのです。その結果夥しい数の欠陥住宅が生まれました。シックハウスも、そのひとつです。
 そしてその前には、構造材やその組合せをないがしろにする傾向が一般的でした。

 まるでろうそくか爪楊枝のような細い木が柱や梁に使われました。工務店やメーカーの要請から始まり、材木屋はいつの間にかそれが当たり前であるかのように仕入販売しました。

 確かにそんな木を使って家を建てても、台風が来ても倒れないし、地震が来ても部分損壊はあるものの倒壊することはほとんどありません。だからこんな木の仕様でいいのだと、建築のプロを自称する者にとって、ある意味常識になってしまったのです。

 この発想には時間の軸がありません。単なる空間としての家であれば、新しいうちは何とか持つでしょう。でも時間が経過するに連れ、その本質的な虚弱性があらわになってくるのです。

 今でも建築基準法という建築に関する法律では、木造住宅の耐用年数を30年と規定しています。30年間持てば、木造住宅としては立派な建築物なのです。

 そのため日本中ごく一部の良心的な工務店を除いて、皆30年しか持たない木の家づくりを当たり前のように行っていたのです。30年間しか持たない家には財産価値などありません。そこに住む住人は30年目にして、また大金を投じて建て替えをしなければならないのでしょうか?冗談じゃありません。

 日本の建築基準法が日本の木の家をだめにした原因なのです。30年しか持たない家は家ではなく、バラックなのです。だから家の創造的な発展はこの数十年間抑えられて来たといっても過言ではないのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-06-06 18:12