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木の家 家・住まいの精神編 4

 久しぶりに戻ってきました。

 忙しかったのか、空回りしたのか、とにかくブログに向かう余裕がありませんでした。18日ぶりの更新になります。

 前回は反面教師としての材料、「こんな建設会社に騙されるな」という気持ちを込めて、匿名バクロをしました。

 今回はその具体的な意味を述べます。

 世界中で、いろんな地域で、たくさんの家が建設されています。日本には日本にあった家が、米国には米国にあった家が、欧州には欧州なりの家が建てられています。そして同じ地域内でも仕様的には共通していても、そこの住まい手の構成や希望に応じて、千差万別の形の家が生まれています。

 それがバラック小屋であっても、豪邸であっても、家は家です。そしてその家の建て方や工程も、それぞれに応じて変化しているはずです。

 どうしてこのように家がたくさん造られるのでしょうか?当然のことですが、家に住みたいと思う人の数に比例しているからです。ということは、それだけの数の想いが原因となって、家の結果として現されていると考えることは出来ると思います。

 想いは、まず最初に言葉や文字、絵、または音楽にしない限り、表に現れて来ません。行動とは、何も肉体を激しく動かすことばかりではありません。行動は単に体を動かすから行動というのではないと思います。

 行動とは、伝える手段なのです。行動を起すとは、手段としての行動を駆使することです。原因を結果させるための手段だと思います。

 行動を結果のように勘違いすると、自縄自縛に陥ってしまいます。結果を選択することは、人間にはできませんが、結果を望むことは出来ます。だから行動は無限の選択肢に満ちているから面白いのです。

 それゆえその原因となる想いは、望む結果に対して、周到に、そして完璧にフォーカスされていなければなりません。でないと、プロセスとなる行動にそのまま影響してくるからです。フォーカスが完璧であれば、行動は直線的に、しかもエネルギーに満ちた内容になりますが、想いが曖昧や希薄なものであれば、まず望む結果を手にすることはできません。

 曖昧な思いからでは曖昧な結果しか出ないと、ほとんどの人は思っていますが、事実は異なります。
 曖昧さからは何の結果も出ないのです。希薄さも同様です。
 そこから敢えて結果を出そうとすれば、単なる繰り返し(焼き直し)しかありえないのです。

 そういう結果をある角度から見るとステロタイプと呼びます。別の言い方をすれば、デジャヴ、すなわち陳腐になります。そしてそれの根拠となるものは、ただひたすら、そして他にありえない数だけです。

 「あなただけの家を」と宣伝しながら、住まい手には、カタログから選択させる住宅会社や、大手の住宅会社の作品を物真似するしか能がない地域ビルダーが、如何に多いことか!業者数の80%以上は、こういう手合いだと思って間違いないでしょう。

 目に見えない世界を、ひとつの形として世に現すという営みは、ありとあらゆる現象に共通しています。ひとたび形のなって現れたものは、やがてまた目に見えない世界へと吸収されていきます。

 でもいずれ消えてなくなるものであっても、そこに不変の価値が生まれるとき、それはより長く更新され続けられると思います。それが人間の持つ想いだからです。
 そしてそういう想いで造られる家に、私たち研究会は焦点を絞って活動しています。

 精神とは抽象的なものではなく、単にそのままでは目に見えないだけで、気がつけば、そこに在るのです。そしてその源は、人間の想いを通して現れる宇宙であり、大地であり、水であり、風であり、光であり、その下にあるすべての存在です。
 それは、私たちが心を虚しくしてこそ現れる、スピリチュアルなメッセージを読み解く作業だともいえると思います。

 
by MUKUZAIKENKYU | 2006-07-29 09:40

木の家 家・住まいの精神編 3

 北九州市内の、ある住宅建設会社の社長から電話があり、自宅を造りたいんだけど、相談に乗ってくれないかということだったので、日時を確認して訪問したときのことです。

 当会のポリシーなどはご存知だったので、早速本題の家づくりの話に入りました。

 その社長が持ち出してきた図面を見たのですが、何とも知れぬ和洋折衷で、奥様とお二人で住み、時々来る客人用の間として3部屋あり、中庭を配してクローズになっていました。延べ床面積55坪です。しかも主寝室が二階にあり、外観はその二階部分が天守閣のようにぴょんと伸びていました。

 この家の予定地の周辺は小高くなっており、桜の木や雑木林が4分の3囲っているようなところでした。

 設計図面では外壁は漆喰ではなく、サイディング張りで、外周には和風の塀を配しています。南側のリビングになるところは、どういうわけか六角形の半周分が突き出た形になっています。左右の窓は丸窓です。

 図面も半ば出来かかっている様子でしたので、批評を差し控えていたのですが、その社長はこれは気に食わんから、あんたが何かいいアイデアがあれば出して欲しいと頼まれました。

 私としては、依頼されている設計事務所に頼んだ方が良いと返事をしますが、その社長としては何か批判をして欲しい風でした。そこでやむを得ず、図面意匠上の多くの欠点を指摘したところ、何か得心したように、「あんたの知っている設計事務所を紹介して欲しい」と依願されました。

 私たちの会では、常に設計事務所の方を優先する立場ですので、例え建設会社の社長であろうと、それでは今まで頼んでいた設計事務所に対して筋が通らないことになるので、まず先方の設計事務所との話をきっちりした上で、再度当会に申し込んでくださいと頼みました。

 そこでちょっと気にもなったため、「この社長のご自宅の設計料等はいくらぐらいでお考えなのですか?」と訊ねたところ、その社長は「図面はまだ採用していないのだから、当然金は払っていない」と。
 それでは採用になったらいくら払うつもりなのか訊ねると、20万円がいいところだろうと言うのです。

 ただ働きに近いこの価格ではまともな設計事務所からは相手にされない。この人、一桁間違っているのではと思い、再度念押しすると、図面を作って確認申請を出すだけだから20万円もやれば十分だろうというのです。

 これが住宅建設会社の社長の発想かと思うと、寒くなってしまいました。モノの価値を知らない、しかも自分の本業である家づくりの元になる設計図面に、申請料込みで20万円しか予算を考えないとは、この社長、する仕事間違えてない?こんな人間に、よく他の専門業者が取引するものだと呆れました。

 もちろんこの件については当会では一切関わらないことにして、丁重にお断りしました。

 目に見えていないものを目に見えるように、しかもコンプライアンスを踏襲しながら、一個性に適応させながら、多くの建材を選択する作業や配置などには、最も労力が必要なところです。
 ある意味、直接家づくりに関わる専門業者は、図面さえしっかりしていればちゃんとした作業をすればいいだけです。

 あまりにも精神労働というものを軽視した態度の、この建設会社の社長さんには、おそらくバラック小屋がお似合いだと思います。自社で施工した多くの家があるのだから、その中から適当に選べばいいのです。

 頭を使う労働には神経労働と精神労働の二つがあります。神経労働は一般的にホワイトカラー層の仕事が当てはまります。後者の精神労働とは、一種の創造活動です。
 実際に経験された方にはすぐに分かることですが、この精神労働は、一般的な肉体労働の数倍エネルギーを使うのです。疲労というダメージも半端ではありません。

 私たちが提供する床材や構造材は、それだけでは木というひとつのマテリアルかも知れません。しかし粗製乱造の商業界の中で、私たちが提供する木には山の想いがあります。住まい手の想いに応える職人の腕があります。そしてその想いを家という形にする工程には、真剣な想像力が必要不可欠です。

 頼まれて、予算に応じたものを届けるだけの業種では絶対に真似ができないノウハウがあります。またとにかく土地に収まるように家を造ればこと足れりとする業種より、はるかにそこに住む人のことを考えています。

 今回は、家づくりの精神の反面教師として紹介しました。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-07-11 09:35

木の家 家・住まいの精神編 2

 私たちのところにお出でになる住まい手の方のほとんどが仰る言葉があります。

 「説明は要らないから、具体的にどうしたらよいのか教えてくれ」と、異口同音に言われます。

 「いや、基本的に、商品やシステムをご理解いただく必要がありますので、」というと、

 「あなたのとこのHPは大体読んだから納得して電話をしているのです。だから家づくりを手伝って欲しい」という返事が返ってきます。

 …ありがたいやら、恐縮するやらです。当会のHPは、順番に従って読むと、おそらく丸一日はかかると思っているからです。でもそこまで真剣にご自分の家づくりを考えておられる方に出会うと、私たちもいやがうえにも燃えてきます。

 私たちは木の専門家ですので、当然木について、木の家についての勘どころというか肝心要について説明して、それをうまく実現するためには、どのような工程を経るか、すべきこととしてはならないことなどを、お互いの会話の中から抽出して、その方にとってもっとも望ましい結論を導き出すようにしています。

 でも最近これだけでは何かが足りない。我々のやっていることの目的は、確かに日本全国にある名も無き産地の素晴らしい木を紹介することだけど、実際にやっていることは、既にこの範囲を超えてしまっている。
 住まい手がこれから建てる家が、心から喜びと安心、癒しを醸し出す、家の空間が住み始めてからどんどん成長していくような本物の木の家を実際に提供していく事業へと変身しつつあることに気付いたのです。

 木の家、本物の情報と本物の素材、そこから生まれる奇跡のような空間は、常に住まい手の本質的なニーズに応えるものでなくてはならないと思います。
 別の言い方をすれば、奇をてらったような○○工法とか、自然とか環境とか耐震とかの部分的なこだわりではなく、もっと基本に忠実で、しかも住まい手の本心のニーズを満足させる想いがなくては、本物ではないということなのです。

 だからその意味では、私たちの提供できる想いの一杯つまった木の製品だけではなく、多くのいろんなニーズにその場で応えられるように、いつも私たち自身を向上させ続けなくてはならないと思います。それは単なる思い込みや思い入れではなく、またこだわり過ぎて自分自身を見失うようなことがあってもならないとも思っています。

 トータルプロデュースという観点から、本物の木の家を捉えなおし、そこに住む人が余計な考えや出費を極力抑えられるような、時が経つにつれ、どんどん良くなっていく家を考えています。

 だからでしょうか、尋ねて来られる住まい手の方には、ご自分の家を本物に、または本心から愛着が持てる自宅にするための、最低限の心構えを、そして日常何を守っていかなければならないかをお教えしています。

 売りっ放しのやりっ放し住宅(建設)会社では、逆立ちしても出来ないノウハウだと確信しています。

 そこに心の底からの想い(哲学)があるか、私心なかりしか、動機、純なるや!


 そのためか最近今までお付き合いしていた建設会社と縁を切りました。お客である住まい手を、お金を融通することで受注に結びつけている会社でしたが、あまりにも住まい手を馬鹿にしていたからです。

 引き渡して1年しないうちに、メンテの依頼の電話がかかってくると、「うちはリフォーム会社ではないので、よそを探してください。」と平気で突き放すのです。再度電話がかかって来ると、「あのねえ、うちは新築専門なんだから、そんな電話されると迷惑なんですよ」と言って、一方的に電話を切ってしまいました。

 無責任を絵に描いたような会社でした。しかもそういうことを社長自ら率先してやっているのですから、開いた口がふさがりません。自分のものは自分のもの、人のものでも分からないなら自分のものというやり方。
 実際にこういう会社が私たちの身近に何軒もあるのですから、住まい手はよほど注意深く依頼先を探さないと、大損失を被ると思いました。

 私は見るに見かねて諫言をしました。すると、その社長は「わたしんとこは貧乏人に家を与えてやっているんだ。本来なら融資も下りない相手だよ、うちみたいな会社には金持ちは来ないよ。一回でもメンテをしてやると、付け上がって何回も言ってくるんだから、最初でガンと言わなければならないんだ。」

 たとえ目の前のお金に困っていても、こんな会社と社長とは二度と付き合いたくないと思いました。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-07-10 10:58

木の家 家・住まいの精神編 1

 さて家・住まいの精神編に入りますが、前回と前々回のコーヒータイムが書かれていることは、そのための前奏でもありました。

 これまで教養編から始め、健康編を述べてきましたが、精神編は抽象的に流れやすいため、そうならないためのアンカーとして機能します。

 コーヒータイムと称して、「自分らしさとはなんだろう?」という問いに対する答えはこれから始まります。木の家の歴史や伝統を検討することは、多くの学者の文献がありますので、是非それを参考にしてください。

 ①木造建築を見直す 岩波新書
 ②法隆寺を支えた木 NHKブックス
 ③近くの山の木で家をつくる運動宣言 農文協
 ④木と付き合う知恵 地湧社

 入門編として、これらの本は役に立つと思います。その本の内容をそのまま受け入れるのではなく、その背後にある趣旨を汲み取ってくだされば十分だと思います。

 木の家に住むこと、そういう家を求めることは、ある意味自分らしさを見出す行為です。

 そういう意味で家を求めれば、そこら辺に網を張って待っている住宅会社の罠にはまることはありません。

 自分の家を求めるとき、その予算の問題は避けて通ることは出来ませんが、予算に応じた家をつくることを優先するか、自分の望む家を予め決めておいて、それに見合った予算を作り出すことを優先するか、この二つの求め方の大きな違いは、自分の人生をどのように計画あるいはヴィジュアライズできているか、またはしていないかという点に集約されます。

 人生では、自分と他人あるいは他の世界とのかかわりという空間と、経験と記憶という時間、そしてその二つが構成する仮想未来が、いつも同時に動いています。
 希望や期待は、その仮想未来としてヴィジュアライズできる想いのひとつのあり方です。
 白昼夢にはエネルギーはありません。依存心の塊から吹き出たため息のような諦念だからです。

 自分の家を持つということは人生の節目でもあります。その節目に、希薄な思いで臨んでは節目になりませんから、人生を計画という視点から考えられないことになるのです。

 そういう意味から「自分らしさとはなんだろう」と自問することは、自分の家づくりにおいても不可欠なプロセスにもなるのです。空中楼閣でも砂上の楼閣でもいいのです。大切なことは考えることです。

 いろんな人に相談することは悪いことではありませんが、自分らしさを教えてくれる人は自分自身以外にはいないのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-07-08 09:48

コーヒータイム 自分らしさとは何だろう?2

 私たちが思うところの信念を実践するに当って、最も理解していただける立場にある人々が、独立系の建築家でした。

 独立系とは、いわゆるサラリーマン建築士ではないということです。または建築士の世界にも元請と下請があり、それぞれの得意とする分野で協業をしています。本来は元請とか下請けとは言ってはならないはずですが、契約主体が決まっていれば、そのような仕分けを便宜上せざるを得ません。

 「設計・施工」を一式で請け負うため、総額が安くなりますといった宣伝広告をよく目にしますが、これは施工会社の中に一級建築士が雇用されており、住まい手の都合より、どちらかというと施工会社の利害を優先するように働きます。

 だから安くなるのです。建築士は本来住まい手の利害を代表して仕事をするのですが、このケースでは建築士の給与はその施工会社が支払うため、設計の意匠や住み勝手などがある程度犠牲にされざるを得なくなるのです。

 中には秀でた工務店もいますが、一般的な工務店では、住まい手に対する関心は予算だけです。住まい手の予算内にすべて収め、しかも自社の利益を出すためには、ほとんどの場合は打合せの流れの中で、あれは予算をオーバーするから出来ないとか、そんな高いのを使うと他のところが犠牲になるとかいって、住まい手を説得するのです。

 これ自体が悪いわけではありません。ただどうして予算に合わないのか、どうしてこれを使っては駄目なのか、明確に答えることができないのです。だって自社の取り分はこれだけだから、あなたの望む商品を使うと、「その取り分が減るから駄目だ」とは面と向かって言えません。

 施工会社が望む利益の中身は、それぞれで異なります。ある会社は15%であったり、別の会社は40%を取るところもあります。それぞれの会社の提案能力や技術力によっても、この目標利益は異なりますから、利益率が高いから暴利を貪っているということにはなりません。

 問題なのは、大した技術力もない、情報提案能力もない、持っているのは誰もが入手できるありふれたカタログで、社内には満足に積算できる者もいない、つまり3流なのに、それに釣り合わない利益を欲しがる業者なのです。

 実際こんな業者が多すぎるのです。こういう業者が横行する業界には必ずといってもいいほどブラックボックスを容認する傾向があります。
 予算の中身は見せない、すべて一式で済ませて、それで注文が取れれば儲けもんという発想です。だから怪しげな業者が出入りしやすくなるのです。その結果多くの住まい手が不当に高いお金を支払わされる結果になるのです。

 話が若干横道に逸れましたが、設計・施工を一式で請け負う会社では、設計にはほとんどお金を掛けません。サラリーマン設計士では、いくら住まい手のためを思って図面を制作しても、給料は変わらないし、考えれば考えるほど、実際に施工する部門から「何でこんな図面を作ったんだ」と突き上げを食うのが関の山だからです。

 自分らしさを発揮できるためには、どうしても突破しなければならない条件があると思います。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-07-05 11:12

コーヒータイム 自分らしさとは何だろう?

 最近、不思議な縁から「幸せな小金持ちになる8つのステップ」という本を読む機会に恵まれました。

 以前から、この本の著者のことは知っていたのですが、その著者の作品の中に「ユダヤ人の」とか「大富豪」とかいう言葉がタイトルにあったため、いかにも「金持ち」や「億万長者」を口癖にする「成功オタク」をカモにする似非扇動本と思い、敢えて拒否していました。

 実際に「・・・宝地図」という名の本を読んだとき、この著者を最大限持ち上げる賛辞が入っていたため、「こいつら、決して成功することのない成功オタクを囲い込んでビジネスをしているな」と、勝手に予断をして、ある意味で忌み嫌っていました。

 ところが、なんといえばよいのか、本田健という著者に対して何かしら(理由は分かりません)親近感が芽生え、最近近しく付き合い始めた友人からもオススメがあり、ついアマゾンから購入してしまいました。

 こういうタイミングは、絶対に逃してはならないチャンスの香りがしました。別に本を購入することが成功や金儲けになるのではありません。私の背後から背中を押すような気配があるのです。

 この本は既に100万部も無料で配布されている小冊子を単行本化したものでした。
 本を購入した翌日、友人がその無料配布本を10冊持ち込んできました。10冊も、です。

 そういえば例の「宝地図」何とかという本を買って応募したら、小冊子を2冊を送ってきていたなと思い出し、久しぶりにその大きな封筒を開けてみると、なな・なんと、その中にも、この「幸せな・・・ステップ」が入っているではありませんか。

 これで11冊目。ちょっと加筆された単行本のそれを入れると12冊です。

 これを12冊分の遠回りと見るか、12冊分の想いが一挙に来たと感じるか、・・・。

 とりあえずというより、引き込まれるような感触で読んでみました。

 「な、何だ、これは!」これほど簡潔に要領を得て、しかもだれにも分かるように丁寧に書かれているこれ系の本は初めてでした。

 これまで私は、多くの出会いに恵まれてきました。そのひとつひとつに言葉では語りきれないほど多くの喜びを感じてきました。そしてその縁と恩に感謝して、それに報うためにも、必死で生きてきました。ある意味で、私ほどの果報者はいないとも思っています。

 捨てる神あれば、拾う神ありです。
 昨日まで信じていた者が突然敵に回ったり、お金を横領されたり、業界の陰湿な「いじめ」にもあってきました。私の会社が「倒産」したと根も葉もないことを言いふらす輩もいました。そのデマを鵜呑みにして、私から去るものもいれば、心配して訊ねてくる人もいました。

 ある興信所の記事でも、でたらめなことを書かれ、信用を傷つけたと訴えてやろうと思ったこともありました。でもある人から、「こういう連中はゴキブリ業界といって、叩いても叩いてもなくならない、陽の当るところでは生きていけない、人の不信を煽って飯にする連中なんだから相手にするな」と諭され、我慢したこともあります。

 いろいろありながら、私は自分が信じるものを貫きました。信念を持てば持つほどかも知れません。それが正義という琴線に触れるということは、ある意味必ず敵対するものが出て来ることでもあります。

 建築業界、材木業界、建材業界、どれをとっても完全なものはありませんが、しかし本当のこと、本物や真実からあまりにもかけ離れてしまったこれらの業界に対して、私たち自身もその中で仕事をしている以上、まず住まい手に本当のことを伝えることから始めました。

 でも住まい手はある意味では「迷える子羊」です。自分を守るにも、そのための知恵を持っていません。だから扇動的で欺瞞的な宣伝広告に、簡単にだまされる。

 そういう住まい手を救える立場にあるものが独立した建築家(設計事務所)でした。
(次のコーヒーブレイクで、後編を)
by MUKUZAIKENKYU | 2006-07-04 10:05