人気ブログランキング |

<   2006年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

木の家 家・住まいの精神編 7

前回からの続きです。

 住まい手にはなかなか分かりにくいのですが、建築関係の業者が一目見れば、そこに使われている建材のメーカーや質が分かります。

 住まい手が意識する家は、ご自分がこれから建てる家だけですので、ある意味で視野狭窄に陥ってしまっていることが多い。住宅会社も、余計なことに質問されないように、言葉巧みに住まい手の関心の方向を誘導します。

 家を実際に施工する工務店の80%以上が行う、共通した条件反射的行動があります。それはまず、もし直接住まい手から注文を受ければ、住まい手の考えよりも、実際の予算を確認することが最優先されます。
 予算を確認して、プランボード等を作成して住まい手に提案していく工程がありますが、どういうわけか建材メーカー品しか出しません。しかも質と価格の面からは、下から数えた方が早いようなメーカーの商品を提案します。

 本当に木や建材を知っている工務店は、絶対にしないやり方なのですが、工務店や建材屋と名のつく業者の80%以上が、無意識にやっていることです。

 「条件付け」という心理学用語があります。パブロフの犬、という一連の実験結果を表しています。

 多くの工務店が、住まい手の要望をどのように聴取しても、提出する見積書の中身は、どれもこれもが廉価品のオンパレードです。そういう工務店ばかりが周りにいると、住まい手は永遠に自分が望む木や建材、設備も含めて、本当に価値のある製品を紹介されることがありません。

 もしそういう工務店が、何らかの条件下で「条件付け」されているとしたら、どんなことが考えられるでしょうか?

 まず日本では民間だけは自由競争ですので、自由競争の意味をはき違えてしまいます。自由競争=価格競争に、そのまま直結してしまいます。
 「安くしないと注文が取れない」という予断というか先入観で、頭が埋め尽くされているのです。

 またそのような工務店に限って、下請業者に対して、品質やサービスなど全く目もくれずに、とにかく安く受けてくれる業者を優遇します。当然のことですが、その工務店の下請業者=専門業者は、最低の価格=最低の品質=住まい手ではなく、元請の工務店を喜ばすことしか考えなくなります。

 こういう流れが出来てしまうと、何でもかんでも下に向かってしか動かないことになります。だから本当は住まい手に喜んでいただくために努力しなければならない企業努力は、全く違う方向を向いてしまうのです。住まい手のことなど全く考えていない。これが現実なのです。

 自由競争とは自由に競争が出来るのですから、本当は価格は優先順位から考えると、3番目なのです。第1は商品そのものの質、第2はサービスです。

 だから価格を最優先に考える業者は、自分の会社が商品の質や取り揃えでは他の同業者と対して代わり映えがしないか、むしろ劣っています、サービスという住まい手などの顧客に直接関わる、もっとも脳みそを使わなければならない点は、もっと駄目と自分で言っているようなものなのです。

 だから価格だけをパフォーマンスする、つまりあっちよりこっちの方が安い、あっちが○○なら、こっちはもう少し安くできますと、呪文のように宣伝文句にしているところには、本当の意味では顧客が求めているものは、自社では提供できないと言っているのと同じなのです。

 でもこういう事実に業者は全然気がつかないのはなぜでしょうか?そういう業者が、同じ業界の80%以上を占めているからです。だから何となく周りの同業者を見ても、自社と変わらない営業形態しか見えないため、何となく安心してしまうのでしょう。

 たとえ99頭の黒馬が集まっても、1頭の白馬にはなれない。

 皆と同じことをやっていれば、何となく安心してしまう。本当のところは分からないが、みな同じことをしているのだから、間違ってはいないだろうと高をくくってしまうのでしょう。
 そして皆一緒に顧客から見離され、皆一緒に電話帳から消えていくのです。
 
by MUKUZAIKENKYU | 2006-08-09 11:48

木の家 家・住まいの精神編 6

家の目的とは何でしょうか?

 それなりの角度から見ると、その角度分の表現が出来そうですが、簡潔に言えば、そこに住む人の人生を支えることだと思います。

 人生、…健康、快適さ、人間関係、利便性、安全性、コスト、家族の繁栄等々、いろんな思いや願いが込められていると思います。

 家づくりの本質とは何か?と問い続けていくと、家族の健康や快適さ、そして家族やその友人知人とのコミュニケーションの場を創造することではないかと思います。

 そしてその家はその家が建つ地域の風土や気候に適応するのでなければならないと思います。単なる頑丈さや便利さだけを求めると、日本人の美しい心性である自然との関わりや調和を見失いかねません。

 人が十人いれば十人分の思いや考えがあります。それは突き詰めていくとほとんど似通ったものになるのですが、それでも個人的な志向が入れば、結果は全然違ったものが出来上がります。

 本当はそうなるはずですし、そうならなければならないはずです。
 ところが現実は、その反対で、どれもこれも似たような姿になります。多少の形が違っても、内装に使う材料は皆同じというケースが圧倒的に多いのです。

 マンションの戸建て住宅化とでもいいますか。一般的なマンションでは、タイプごとに内装は異なりますが、だからといって色こそ違え、壁クロスの質は全室共通、フロアにしても同様です。
 こういうケースがいわゆる戸建て住宅にも、当たり前のように踏襲されているのです。

 それは住まい手が選択できるだけの十分な情報を与えていないことが原因になっているからです。もちろんその住宅会社自体の無知、あるいはポリシーの低さに比例していることも多い。

 だから住まい手は、身近なところとか、安いからという理由で、自分の家づくりを安易に依頼すると、お金を浪費してしまうことになるのです。

 私が知っている限りでは、1500万円前後から2000万円までの予算で建てられた家のほとんどは、名前は公表できませんが、業界では有名な廉価品主体の建材メーカーの商品ばかりを使っています。

 工務店の名前やキャッチの内容は違っても、実際に使う木材や建材は、どれもこれも同じなのです。どうしてこうなるのでしょうか?
(次回に続く)
by MUKUZAIKENKYU | 2006-08-08 15:55

木の家 家・住まいの精神編 5

耐火という視点から。

 日本の家の構造は、古代から考えると、まず草から始まり、その後に木、そして土へと流れています。
 それはすべて自然から摂取しています。
 20世紀に入って、本格的に鉄などの金属が利用され始めましたが、鉄それ自体では、家という居住空間を作り出すことは出来ません。

 鉄も、元はといえば鉄鉱石という自然の鉱脈を発掘して、それを加工して出来上がったものですので、自然の一部ではあります。
 ただこの鉄という金属を、人間社会で活かすには、その加工工程に、膨大な熱源を必要とします。そしてまた冷却用の膨大な量の水も必要とします。

 鉄の重宝さは、その強度ではありません。その自由度にあります。強度だけなら、単体で測れば、木の方がずっと優れています。じゃあ、熱に強いのかというと、それも木の方が勝っています。鉄はある温度に達すると、瞬く間に飴状に溶解し、ダリの絵画のようになってしまいます。
 木は確かに燃えますが、強度は低下しません。木の表面だけが燃え、炭化することによって、その内側に熱が到達しないため、家屋の形状を長く維持することが出来ます。

 でも火災現場の写真などでは、木造でありながら、梁や棟木が落ちている光景をたまに目にします。でもこういう写真は、火災時に消火作業などで高水圧の放水で木を吹き飛ばすことがしばしばあるのです。

 本当はまともな木組みで、必要な大きさの木で造られた家ならば、消火作業で吹っ飛ぶような木は一本もありません。
 火災で二階の梁が落ちて、消防員が怪我をしたという話も時々聞きますが、それはおそらく伝統工法に従った仕口で梁と桁が緊結されていなかったために、火災による影響で簡単に外れてしまったものと考えられます。

 コストを下げることばかり考えて、家自体の強度や寿命に無関心な業者が多すぎるのです。だから結果的に火災や地震に弱い家が増えてしまう。戦後の日本の住宅環境の大きな欠陥といえます。

 構造を鉄などの金属で造る家では、熱に弱いために、家づくりの発想が、まず耐熱性を優先します。つまり構造材である鉄に熱が及ばないように被覆するのです。

 そのため最もコストが安く上がり、性能という点で優れている石綿が、ありとあらゆる建築現場で積極的に使用されてきました。綿飴みたいな繊維状のものを鉄骨に吹きかけている光景をみたことがあると思いますが、それが石綿です。中皮腫などの発がん性物質の塊です。

 これがまともに規制され始めたのは、10年ほど前からでしたが、最近になって、その生産工場とその周辺から多くの罹災者が出て、完全に規制されるようになりましたが、それまではまともに規制されていませんでした。

 そういう点から考えると、鉄を露出して家屋などの構造体に使うことが、どんなに危険か分かると思います。コンクリートと一緒に使用するのが、いわゆるRC(鉄筋コンクリート)、SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)製の躯体になります。この方法が、今のところもっとも正しい使い方といえるでしょう。それぞれの長所や欠点を補うようになっているからです。

 日本の家は、前述した草、木、土から離れては、日本人の心性自体を否定することに繋がります。これまで日本の多くの家屋の床には、合板製のカラーフロアと呼ばれる床材が使用されています。坪60万円する家にも、カラーフロアを使用しているところもありました。おそらく設備にお金をかけすぎたのでしょう。

 設備なんてのは、ものの1年過ぎれば、流行が変わり、便利さも格段に変わります。そしてそのとき300万円で購入したシステムキッチンなどは、半値以下で叩き売りされているのが現状なのです。
 そんな見映えと便利さだけで設備を購入することは、販売店を喜ばすだけで、1年後にお金を無駄遣いしたと後悔することになるのです。
 設備などは、家の耐久性とはほとんど関係ないのですから、そんなところにお金を使うと、ほんの数年経ったら、また新品のものと買い換えたくなってしまうのではないでしょうか?
 これでは今後のメンテナンス費用なんか貯まるわけがありません。
by MUKUZAIKENKYU | 2006-08-08 10:24