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カメダメダ!!

亀田親子・・・何とも眉間に皺がよってしまいます。

 今日いつも報道されている、切れまくりの親と子どもの圧縮された姿を見るような思いで苦々しく感じています。

 そして大手メディアの非倫理的な助長報道の結末は、わざと作り上げた「的」から完膚なきまでに返り討ちにあうと、たちまち手の平を返して、その「的」側に付いてこれまで「応援」してきた亀田親子を誹謗しています。

 おそらく亀田親子は誰が味方だったのかと人間不信に苛まされていることでしょう。

 でもこれまでのあまりに下品で無礼な一連の言行は治まるものではないでしょう。あの言行は彼らの地です。最初は関西弁にしてはあまりに汚い物言いだと思っていましたが、関西の友人に聞くと、あれは関西風チンピラの物言いで関西弁ではないと言っていました。

 息子たちの見境のない相手を見下した言動や、自分は相手を挑発しても、その相手から挑発されると忽ち切れてしまうといった態度は、誰がどう見ても情操未熟といわざるを得ません。

 換言すると、わがまま、被害妄想、誇大妄想、我執、蒙昧、頑迷、井の中の蛙ということになります。

 しかも彼らは一歩間違うと、相手を傷つけてしまう暴力を持っています。服装からもそうですが、だから彼らの言行には「暴力的」というイメージが付きまとってしまいます。

 ああいう彼らの姿は見たくも聞きたくもありません。今回の「謝罪」会見にしても、あまりにお粗末!親は自分がそういう子どもを作ったという自覚がないのでしょうか?子どもの方も、もう18歳なのですから、しかも実行した本人ですから、はっきりと自分の言葉で謝罪しなければならない立場です。苦々しいかぎりです。        

 
by MUKUZAIKENKYU | 2007-10-18 06:30

ミネラルウォーター

今日は、ミネラルウォーターについて一言。

 日本では以前は水道水もおいしく飲めていましたが、都市部では、とりわけマンションやアパートでの暮らしになると、屋上の貯水槽から運ばれてくる水道水を摂取する以外になく、その水質が問われています。

 10数年前から、屋上の貯水槽の劣化だけでなく、一時的とはいえそこに貯められる水は、太陽熱で温められて、藻が発生したり、昆虫が紛れ込んだりと、とても飲料水とはいえない代物に変質することが多く、その対策は蛇口でのろ過器で水を漉すぐらいしかないのが現状です。

 そこで気がついた人は、水道水を避け、飲用としての水として、いわゆるミネラルウォーターを利用するようになりました。それは単なる飲用の域を超え、料理や栽培にも活用されるようになりました。

 水は肉体の60から70%を占め、血液の元でもあり、体液の交換になくてはならず、水の質が肉体の新鮮度を決めているといっても過言ではありません。

 体に良い水を摂取しましょう!

 当会は“日本の住まいを良くする無垢材研究会”として、木の住まいを推進するだけではなく、本当に安全でフェアな、そして良質の国産材をご紹介してきました。

 一般的な木造住宅には良質の木が使われることはありません。産廃物質と石油製品(塩ビや接着剤)で見えるところを覆ってしまうため、隠れてしまう木は下地材でしかなくなるからです。

 木には想像以上の癒し効果があります。木で健康が創造されることはありませんが、木には人間の生命力を高める力があるため、木の住まいに住む人とそうでない人との平均寿命は5歳以上違うのです。

 そして良い水は直接肉体に良い影響を及ぼすものですので、木の住まいが第3の皮膚であるとすれば、良い水は第1の皮膚としての人間の肉体を内側から支えていきます。

 私たちがこれまで試飲も重ねながら検証しました。その結果以下の水が推奨できると思います。

 ただし水にもいろんな種類があり、それを飲む人の個人的な体質や状態によって左右されます。だから一時期はこの水、それから別の水と選択していくことが利口な利用法といえるでしょう。

 選択した条件は、
 ①水分子が小さいこと(クラスター値60前後)
 ②弱アルカリであること
 ③旨味があること
 ④固有振動数が高いこと
 ⑤常に新鮮であること
 ⑤適度なミネラルを含み、バランスがいいこと

 硬水と軟水という区別がありますが、これはミネラル分の量の多少を表示するものです。咽越しは硬水はミネラル分が多いこともあり、あまり良い印象がありませんが、硬水に飲みなれた人には軟水は腰がなくて物足りない感じがすると思います。

 カルシウムが多い水もありますが、たしかにその分の効果はありますが、年齢によってはカルシウムの摂り過ぎは血管を硬化させる可能性もあるため、体調などを考えてコントロールした方がいいと思います。

 ちなみに当会では軟水の部類に入るものとして“水星”を推奨・販売しています。
by MUKUZAIKENKYU | 2007-10-12 07:00

日本のガラクタ社会保障制度について

 あるJ党国会議員がテレビで福祉について述べていました。
 「50年後には高齢者は今の倍になる。財政的に逼迫するのは間違いないので、これからは高齢者からも医療費や税金を一般市民と同じように負担してもらわなければならない。」

 この議員は50歳ぐらいですが、実に近視眼的で、鈍感極まりない言動です。J党議員には官僚出身の市民生活をまったく知らない者が多いためか、自分の国家から保証されて生活感覚を持たないで、しかもお手盛り的な静態的あるいは右肩上がり的な発想からしか見ようとしません。

 税金は消費税ばかりではありません。消費税は公平の原則に基づいていますが、決して平等ではありません。国家の歳入(税収)は国民の懐から成り立っていますので、公平は必要ですが、所得の格差がある限り、公平だけでは格差の助長と固定化に直結します。

 国家を含めて社会制度は、公平ではなく平等の精神が優先されなければ圧制に変質してしまいます。

 上記の国会議員の発言は典型的な公平主義におかされたノーカン発想です。こういう輩が国会に多くいると国家の経営は根本的に間違った方向に行ってしまいます。選挙とは結果がすべてですので、より多くの国民が積極的に投票するのでなければ、再び暗黒の政治が浮上することになります。

 古賀さんが先の小泉郵政選挙で辻斬りにあった前国会議員やJ党を離党した者を、再度糾合する方向で動いていますが、これはまさに正しい行動といえます。

 郵政選挙では良心というものがありませんでした。ホリエモンといったような拝金主義者を御輿に担いではばからないJ党は、○○チルドレンと呼ばれる中身の空疎な連中を国会に送り込んだため、国会と国政は、市民があきれるほど書割通行人でしかない大根役者議員によって大きく質を下げてしまいました。

 先の郵政選挙は、実際には小泉さんによる国政選挙の私物化でしかありませんでした。だから小泉さんが差し向けた結果何とか当選できた議員は、どこまでいっても「チルドレン」でしかないのです。今となっては、郵政選挙の「残滓」でしかないでしょう。

 すべての立法と行政は、平等という観点は絶対不可欠な条件です。社会制度というのは「格差」を前提にしてはならず、それをどうすれば解消できるか、国民の安寧を最優先課題として成立させなければならないはずです。

 高学歴であっても、キャリアであっても、また叩き上げであっても、すべての議員は、良心本心にもとらない行いを規範にしなければなりません。そしてどんなことがあっても慌てずぶれない信念の在る言行を貫く議員こそが、真の見識と胆識を持つ本当の政治家といえると思います。
by MUKUZAIKENKYU | 2007-10-11 07:52

極私的九州選景

 これまで九州の杉について、トバ口まで説明しました。後二三回で終了する予定ですが、脱線ついでに、私がこれまで九州各地を廻り、気に入った光景をご紹介したいと思います。

 自然の光景とはどこでも美しいし、優劣を競う意味などまったく在りません。ただ日本人の美意識を刺激する箱庭的な光景やあるいは墨絵的な侘びを感じさせるものはあります。

 私には私なりの美意識がありますが、幼い頃から親に連れられて訪れた自然があり、またその後に山岳部として訓練したり遊んだり、さらには仕事の一環として全国の産地を訪れ、製材所も含めた数は、産地だけで優に400箇所を超えます。

 誰よりも多くの産地を訪れた結果、私は従来どおりの「材木屋」のあり方に疑問を覚え、このままでは人生を犬死させてしまうと危機感を持つに至ったのだと思います。

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 九州の自然で、最初に思い起こされるのは九重山を中心にした連峰です。

 美しさとは異なり、九重山は私が本格的に山に登り始めたときの最初の山なのです。だからあらゆるところからの光景が今でも鮮やかに甦ってきます。

 それは美しさではなく、自分が歩き踏みしめてきた土地として、これまでのいろんな人生を黙って受け入れてくれた、父であり、母でもある山々なのです。

 一人で登ったこともあり、部活の一環として、また友人と、最近では長男坊を連れて登りました。息子は覚えていないかも知れませんが、私にとってかけがえのない思い出のひとつです。

 私には二人の息子がいますが、難しい年頃なのでしょうか、会話をしたくてもできないため、家族で近くの山に行こうとか、旅行に行こうと思っていても、話す機会がないため、これまではすべて計画倒れに終っています。・・・

 さてさて九重の山々はいわゆる木の産地ではありませんが、九重の山頂を目指すルートはたくさんあります。わたしが最も多く利用したのは長者原から三股山、または星生越えです。三股山方向は背の低い森を歩いていきます。星生は岩山で、ちゃんと足元と頭上に注意しながら歩かないと危険なところです。

 瀬の本からのルートは一番楽なコースで、朝から登っても昼過ぎには戻って来られるハイキングコースといえるでしょう。

 私は三股山の横腹にある雨ヶ池を通って、坊ヶづるに辿り着き、そこから大船山を登り、峰伝いに岩(浜?)千里を歩いて、九重山頂を目指すルートが圧倒的に多かったようです。坊ヶづるの露天風呂は最高でした。星の大きさと量が桁違いでした。

 坊ヶづるから九重山頂への途上、知らない間に大きな噴火口ができていました。噴火口というより、ガスの噴出口です。不気味な音を立てて、勢いよくガスが噴き出ています。30数年前の当時にはありませんでした。

 そして山頂直前の法面は、そのときはまだ緑がそこかしこにあり、湧き水もありましたが、多くの登山客が通ったせいなのか、すべて岩肌に変化して、湧き水のあったところは歩いてはいけないところに移動していました。

 ミヤマキリシマに囲まれながら歩く大船山も、いつの間にか道が広がっていました。九重に登るより、大船山の方がきつかった記憶があります。 
 
by MUKUZAIKENKYU | 2007-10-10 08:00 | 木 無垢材 自然

感情と想像力 結び

 内観法を通じて獲得するものは、新たな高みに辿り着いた自分の姿です。

 そのために感謝心が必要不可欠になります。感謝心をより具体的に表すと、「愛することと働くこと」だと思います。

 このふたつの「こと」は、引いていけばマザーテレサやジークムント・フロイトが繰り返し述べてきたことでもあります。

 フロイトは健康について問われたときに、その回答として愛と労働の実践を述べています。人に限らず、この地球上に生まれたすべての生命の頂点に立つ霊長類の人間という存在は、愛することと働くことを、プロメテウスの火として身につけました。

 愛することは、その対象となる相手を慈しむことであり、またその相手を必要とすること、信頼することにつながります。人は他人から必要とされることによって、孤独から解放され、心を癒されます。 

 働くことは、そういう意味では愛の実践です。そこまでいかなくても、いわゆる賃金労働としての経済活動も含めた上で、人や社会のために役に立つ行為の対価として得る報酬ですが、これも人から必要とされる行為としての労働なのです。

 マザーテレサは、最も辛い孤独は「人から必要とされないこと」(うる覚えです)と語っています。また「愛の反対は憎しみではなく、無関心です。」とも述べておられます。

 感謝する(できる)心はここから生まれるものだと思います。
 それは情操を高めることでもあり、自分の人生を謙虚に「生きて活かされて在る」生命として受け取ることができた時、人は人を非難するのではなく、問題点を人間同士のコミュニケーションを高めることを通じて解決する方法を選択することができるようになると思います。

 人は完璧な存在ではありませんから、途上で勘違いやあるいは怠慢からミスを犯すものです。だから周囲にイエスマンや取り巻きをはべらすのではなく、友情という絆で結ばれたアウトソーシングたるブレーンが絶対不可欠なのです。

 これは小さな身内の世界でのお山の大将よろしく、何でもかんでも他人のせいにしたり、見せかけの信頼を演じたり、単なるお金に依存しがちな人には到底辿り着くことのできない境地です。

 そういう人はそのときだけが良ければいいという感情に縛られた心の貧しい生き方をしています。だから人との関係は支配するか支配されるかなので、あるいはお金に支配されているため、同じブレーンを持っていても、そのときだけの関係にならざるを得ないのです。だから当然心底からの信頼関係は生まれることもありません。

 過去というもはやありもしない記憶の倉庫から、在庫する価値もない憂鬱な記憶を後生大事に大切にする人に特に顕著な傾向といえます。

 憂鬱やパニックも含めた心的傷害に苦しむ人の多くは、あばら家のような記憶倉庫から亡霊を引き出していることが多い。そのためにそのまま普通の生活をすると、結果的に「やっぱりか!」という結論を導き出してしまうのです。

 他人の裏切り(と勝手に思い込んでいる)や不信な行為とは、実は他人の体を借りて、自分自身の心の状態を再現していることに他ならないのです。
by MUKUZAIKENKYU | 2007-10-09 08:30

感情と想像力 その5

 自身の意志で行う内観法では、明確な目標が必要です。しかしそれは物質的なものでなければ、測れるものでもありません。

 それは心理的代謝を結果するものでなければならないし、また自分自身が心の中に持つジレンマが解消しなければ意味がありません。

 目標は個人的な動機であっても、結果的にその人の心理的な孤立感や閉塞感を乗り越えるためには人間同士の関係を構築するものでなくてはなりません。

 その目標とは、ありふれたものですが、“感謝心”です。

 パニック心理障害やトラウマに悩む人の多くは、ある意味で意図せずに自分の心に破壊的ダメージを受けたことが多いようです。その意味ではたしかに被害者なのですが、これをそのまま引きずると、その人の心の中で「成長」して、一種の心理的マヒ状態に陥ってしまいます。

 マヒ状態にあると、人間的な感性やバランス感覚が失われていきます。

 そのためある程度まで亢進した人、つまり心理障害に陥ってしまった人からは、真っ先に反省能力が奪われてしまいます。なぜなら自分自身を客観化できなくなるからです。

 結果的に、何が起こってもすべて周囲が悪い、他人が悪い、あいつがいるからこうなったんだと、もっとも安直で底の浅い「被害妄想」にからめ取られてしまいます。タチの悪いことに、本人は気づかないのです。

 被害妄想は他者への攻撃か自虐的な行為のいずれかを惹き起こしてしまいがちです。

 だから克服するために是が非とも身に着けなければならない心が感謝心なのです。

 感謝心は他人と同時に自分自身を同時に許す想いのひとつです。

 内観法はそういう意味で自分を真実として人間そのものを洗いなおす方法だと思います。

 内観法の具体的な内容はここでは述べません。それを語れば一冊の本になります。

 ヒントはその感謝心を得るためにはどうすればよいのかという自問が必要です。それをまじめに実行する途上では、自我が崩壊する「危機」に遭遇することがありますが、目標を見失わなければ、一旦は崩壊しても不死鳥のように甦ることができます。

 前回で紹介した「置き換え」法でも十分に効果がありますが、内観法は人間味と人間としての深みとでもいいましょうか、格を醸成するため、人生に透徹した想いを掴むことが可能になるので、真の自己蘇生法といえます。
by MUKUZAIKENKYU | 2007-10-08 08:31 | 木の家 国産材 無垢材

感情と想像力 その4

 でもそれが無自覚に近い幼年期に条件付けされたり、また成長の過程で強烈な体験を被ったとき、自分の意志ではコントロールできずに潜在意識下に沈殿してしまうと、後々何かのきっかけで突然暴れ始めることがあるのです。

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 この心的現象は、本人の意志ではコントロールすることができません。コントロールできないけれど、自分でもはっきり分かるほど異常な心理状態に陥ってしまいます。

 そしてこれもひとつの条件反射です。条件付けされて反射行動が起きるわけですから、それは今目の前で起こっている現実に対する客観的な行動ではなく、実際には過去の記憶の追認行動でしかありません。

 条件反射は、制限された主観的な行動ですから、そのときの適応行動とは関係ありません。ただの反射行動ですが、コントロールができないために、それは傍から見ると奇異でしかないことが多い。

 その主観的な行動に付いて回るものが、もうひとつの反応としての感情です。それが本人にとって楽しいことであればまだいいのですが、こういった場合ほとんどが鬱的な感情が圧倒的に多いのです。

 なぜそうなるのか?

 経験に対する連想反応として感情が発生するものとして考えると、それが楽しいものであれば、いつでも自発的に思い起こすに違いありませんが、その逆に思い出すこと自体が苦痛でしかない経験もあると、人はその苦痛から無意識に逃れようとします。

 苦痛は憂鬱に直結します。

 それはその原因である過去の経験を克服することが出来ない心理的な状態を「警告」しているのです。過去の出来事はすでに完結しているので、もはや取り戻しようがありません。だから思い起こしても仕方ないはずなのですが、心理的に決着が付いていないために、逆にその過去の記憶として残った出来事に執着することになるのです。

 しかしその出来事は現実でも現在でもありません。実体は妄想なのです。ただ感情的に一体解されているために、極めて肉体的な妄想であるため、本人は記憶を想起するたびに感情的に、そして肉体的に苦しむことになります。

 この事態から脱出する方法はあります。しかしそのやり方は二つしかありません。

 ひとつは自分の記憶背景を徹底的に塗り替えることです。苦痛を伴う憂鬱な記憶を払拭するためには、自分自身に勇気と自信に直結する想像を意識的に誘導して、それを四六時中イメージすることで、心の中の光景を入れ替えてしまう方法です。

 これを「置き換え」といいますが、最も効果的な方法のひとつといえます。 過去の多くの哲学者や先人も推奨しているものです。

 もうひとつは「内観法」と呼ばれている方法です。この方法の発想は、今自分に苦痛を与えている原因を自分の意志で掘り起こし、それを心理的に代謝させてしまうというものです。

 以前から「内観療法」と呼ばれ、全国で地道に活動をしている団体がありますが、心の病や障害に陥った結果自分の意志でのコントロールができなくなったとき、そこの指導役の下で確実に克服していくように誘導しています。

 それとは異なりますが、もし自分自身とその環境を客観化が出来る余裕がある場合は、多少の苦痛は伴うものの自力で「内観」を行うことができます。

 ただその場合は、予めゴールを設定していなければなりません。誰かに誘導されて初めて気がつくのではなく、自分自身で自分の決定的な向上につながる目標を設定して、それに向かって一心不乱に考え抜くことが絶対不可欠になります。

 もしこの方法ができれば、人間としての飛躍的な向上と影響力を同時に得ることができます。

 トラウマやそれに近い心理障害を持ちながら苦痛に喘いでいる人の多くは、実際には被害を被った経験が元になっている場合が多いものですが、あまり長い間心の中に閉じ込めていくと、自己防衛の自意識過剰状態に陥って、自罰的か他罰的になりがちです。その心理状態が病的になると、犯罪性を帯びてしまうのです。

 そのためまず自分のもっとも嫌な部分を含めて、自分自身の棚卸しをする作業から始めることが客観化の第一歩になります。
by MUKUZAIKENKYU | 2007-10-07 17:35 | 木の家 国産材 無垢材

会氣 感情と想像力 その3

 前回までに、想像した内容によって、人間には快不快の感情的な反応が必ず惹き起こされることを説明しました。

 それが白昼夢であろうと、また高貴さや低俗さとは関係なく、想像された内容には感情的な動機と反応が存在します。感情的な反応は当人の人生経験に左右されます。

 極端な言い方をすれば、殺人に快感を抱く者は快感を求めて殺人を行いますし、当人の個人的な特性に応じて、想像力は元々は自由で解放されているのですが、それに気づかないかぎり常に制限されることになります。

 金持ちになりたいと思う人がいても、そのために一所懸命に働く者がいれば、人に働かせて楽をしようと考える者や、手っ取り早く人様の懐を狙う者、会社の金を盗む者、人の無心ばかりする者等々、そのやり方はいわゆる規範意識等の上層の自我にも制限されながら、手段は無限に存在するといえます。

 ただそういった行為を通じて得られる結果としての快感は、基本的には本人だけにしか通用しません。ただ想像した内容が多くの共感を呼び覚ますものであれば、感動を惹き起こすことになります。その逆もあるということになります。

 想像する内容によって、そしてそれが自信の動機付けに貢献すれば、本人は自覚の有無を問わず、その実現に向かって信号を発し、必ず行動を起こします。その結果はすべて本人が望んだとおりの姿となって現れます。貧困で荒れ、自殺であれ、裕福であれ、愛であれ、その通りの姿が現れるはずです。

 そうやって推論していくと、この世にいる富裕層が全人口の5%にも満たず、しかし全財産の60%以上を所有していることから考えると、そこにはなにか秘密の鍵が彼らだけに渡されているのではないかと考えることはごく自然なことだと思います。

 その逆に没落する者も同じように鍵を持っていると思います。多くの人は裕福になりたいための鍵を探しますが、にも拘らずどうしてもそうなれない、やればやるほど逆に環境が悪化してしまう人がいます。そういう「運命」下にある人が人口の30%以上いるとしたら、あなたはそのどちらに所属しているでしょうか?

 運がない人という種類に入る人には、ある共通点が見え隠れしています。それは上層の意識ではなく、ある種のブレーキとしての無自覚な想像内容(あるいは連想)にあります。

 そこにはトラウマも存在しているのです。

 両親の仲が悪い家族に育つと、子どもは成長して、やがて親となったとき、自分の親がやっていたのと同じ行動を自演してしまうことがあります。自分ではいけないことだと分かっていても、ついそういう行動をしてしまうのです。

 これは一般的には条件付けと呼ばれますが、単なる条件付けだけなら、本人が成長の過程で、自覚しながらその癖を克服して、情操を確保することで、自分の意志として親を演じることが出来ることもあります。

 でもそれが無自覚に近い幼年期に条件付けされたり、また成長の過程で強烈な体験を被ったとき、自分の意志ではコントロールできずに潜在意識下に沈殿してしまうと、後々何かのきっかけで突然暴れ始めることがあるのです。

(続く)
by MUKUZAIKENKYU | 2007-10-03 18:14 | 木の家 国産材 無垢材