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改革としての「規制緩和」とは その2

 官僚の自立化は、その組織の固有の利害を独自の目標にします。でなければ組織の存在理由がありませんから、政治が無能化するにつれ、官僚組織はさらに増殖します。それは必然的に天下り組織としての「独立行政法人」を無限に増殖することになります。

 ここから制度の自己目的化が蔓延して、カフカの小説「城」のような不条理を現実化することになります。時代のニーズに全く対応できないことを硬直化といいますが、それは制度の自立を意味しません。むしろ移ろい行く時代に背を向けることが制度温存と組織の自立を保障することになります。

 今から20数年前から「構造改革」という言葉が散見されるようになりました。これは米国の要求によって、日本の社会主義的制度を転換することを目的に作られた施策です。改革というと、つい社会主義的な意味合いを連想しますが、ここ日本では意味が捏造されています。

 日本の社会主義的制度には国民皆保険や国民年金、郵便局制度などありましたが、小泉「改革」の一環として崩壊の危機にあります。
 規制緩和という措置がとられましたが、この規制緩和で生まれた事象は、市場経済至上主義と死肉にたかるファンド、そして非正社員を構造化する手配師を法律的に保護してしまいました。語るに落ちるとは、こういうことをいいます。

 規制緩和とは、省庁の既得権益を無意味化して、広く民間に引き渡すことからしか始まりません。経済の取引だけを規制緩和するだけで、マネーゲームに拍車をかけさせてしまいました。それは規制緩和の目的とコントロールを両輪の輪にしていないために、必然的に突出する企業を法律的に罰することでブレーキをかけることしかできませんでした。

 賢明な政治家と官僚が不在の日本では、単なる規制緩和は、多くの犯罪を生み出す温床にしかなりません。「格差」という言葉が独り歩きしていますが、格の差などではなく、貧富の差であり、成長する機会の著しい偏差だと思います。

 日本での規制緩和は、省庁の既得権益を温存させたままでは、どうやっても国民にその恩恵は還元されることはありません。ごく一部の企業や官僚がチャンスを独り占めするのでは、行政の裏道を掘削するだけです。

 しっかりとした展望を持ち、長期にわたって政治生命を堅持できる賢明な政治家がいなければ、日本の政治経済は救われないでしょう。官僚組織は黙っていても自己増殖をしています。

 国民の生活を守り、育むために、行政制度を転換させることは必然ですが、これには段階的な措置として時間がかかります。一気に達成することは混乱を生むことにしかなりませんから、必要な階段をゆっくりじっくり上るように転換させるしかありません。

 規制緩和は、制度変革の一環としてあるべきで、カンフル的な措置であってはならないことは、多くの国民が知りました。制度変革は省庁のとりわけ国交省・厚労省・農水省の持つ既得権益を解体し、消費者(国民)と地域経済の賢い活性化のために還元するものでなくてはならないはずです。

 それができれば、今日のような食品偽装や貧困化、家族制度の崩壊、子どもと老人の孤立化、硬直化した建築確認制度、お手盛り予算配分といった究極の無駄遣いは改善されることは間違いありません。

 ・・・でも財務省や外務省は一貫した右顧左眄と優柔不断の組織のまま温存されるでしょう。小泉さんのような郵政民営化だけを自己目的化した政治家には改革は不可能です。日本の財務健全化と国際的なリーダーシップの顕現を実行できる政治家には、100年の計を持つ意志が必要です。

 日替わり「定職」のような総理大臣の椅子や他人事のような大臣ポストは、官僚組織を止む無く自己目的化します。現下の官僚組織にした責任は、これまでの政府と内閣にあります。

 そして制度疲労から破綻が垣間見えるようになってきた今日、本物の政治家と集団が一日も早く求められていると思います。
by MUKUZAIKENKYU | 2008-09-21 10:28 | コラム 政治・経済・社会

改革としての「規制緩和」とは

 サブプライムショックは、原油高騰が一段落すると本格化し始めました。原油への一時的な投機で糊口をしのいでも、実体経済は昨年からその土台から崩壊しつつあります。

 現代資本主義の要となる資本は金融資本です。かつてはハードとしての生産手段を所有することが流動資本であるお金を生み出し、そのお金がすべての社会に流通することで、再び生産手段を生み出し、いわゆる資本主義は自己増殖していきました。

 1900年代からは金融恐慌が、資本主義社会の定期的な発作反応として循環してきました。飽和と実体を伴わない経済の灰汁のそぎ落としが、ある条件下で自動的に発生します。

 今回のサブプライムショックは米国の資本錬金術が失敗し、危険分散措置として全世界の金融世界にある程度の負担を強いることで、「経済」そのものの瓦解を予防しようとしています。

 さて振り返って日本ではどのような動きが見られるでしょうか?

 ・・・文字通り「金縛り」にでもあったかのように、政治的な率先対応は皆無といえます。

 今の日本の経済状況を作り出したのは、小泉「改革」(改革ではなく混乱しか生まれていませんが)を端緒として、制度崩壊は目を覆いたくなるほど深刻に進行しています。

 国交省、厚労省、農水省の3つの省庁は、とりわけ象徴的な存在です。国民経済とインフラに直接関わる行政省は、こうなったのは政治が悪いからと死んだ振りを決め込んでいるようです。

 昔からいわれているように、「縦割り行政」の弊害はすべて国民生活に犠牲を強いています。当初は政治からのトップダウンを実現するために、また担当大臣が官僚を意のままに動かすために行ったシステムですが、それは政治家の寿命が長期にわたることを前提にしていました。

 ところが戦後まるで寿司屋の看板のように大臣が短命化し始めると、このシステムは官僚の自立化と無能政治家の大量生産へと変質し始めました。

つづく
by MUKUZAIKENKYU | 2008-09-20 10:00 | コラム 政治・経済・社会

自然乾燥材と人工乾燥木材、そしてCO2削減 まとめ

 自然乾燥材とは、すでにご説明したように自然現象を最大限利用して、時間をかけて乾燥させる方法です。
 だから木の傷みが少なく、灰汁抜きを行いながら、木独特の成分を本体に残しているため、柱や梁、また床壁材として利用すると、木本来の色合が保たれ、経年変化も美しく鑑賞できます。

 一方人工乾燥材(KD材)は、乾燥方法は多種多様ですが、その目的は木の反りや収縮を利用後に発生させないことですので、予め木の溶液も含めた水分を極限まで取り除いてしまいます。そのため木の表面は焦げたような茶褐色に変色してしまいます。

 経年変化とは、木が紫外線を吸収しながら変色する一方、木の成分がゆっくりと木全体に浸透して鮮やかに変化する現象です。でもこれが可能なのは、自然乾燥材だけです。

 自然乾燥は、ある程度水分を蒸散した木ですが、木の芯近くにある結合水は残存していることが多く、そのためより乾燥が進行するにしたがって、ところどころで乾燥割れが発生します。

 乾燥割れは繊維に沿って発生するので、木の強度が劣化することはありません。繊維が寸断されたり、大きく剥離するとき強度が落ちることになりますが、強度は木の断面に比例するため、使用する木の大きさを間違えなければ、構造上の問題は起きることはありません。

 人工乾燥材は確かに木の寸法安定性では自然乾燥材とは比べ物にならないほど優秀です。

 でも木本来の美しさは見る影もありません。杉の赤みは自然乾燥であれば、より鮮明な赤みを保ちますが、KD材では茶褐色に変色してしまいます。

 ゲインでは同じKD材でも、そのような変色をしない方法で乾燥させた木を供給していますが、市場に出回っているものやこだわりと称して販売している業者でも、茶褐色に変色したものを「美しい」といって販売しているのが実情です。

 本当に木を知り、木に想いがあるならば、そして産地と施主ユーザーともに満足できる木を供給したいと真剣に考えるなら、木の根本である自然本来の力と姿を、人の想像力としっかりした技術で手を加えることで、大きな利用範囲を持つ生活材(生を活かす材)として甦らせる努力を怠ってはならないと思います。

http://www.h3.dion.ne.jp/~yamaiti/
by MUKUZAIKENKYU | 2008-09-07 06:57 | 木の家 国産材 無垢材

自然乾燥材と人工乾燥木材、そしてCO2削減 5

 このような状況下にあった日本の林業は構造的な斜陽産業になってしまいました。その要因に1955年に木材の輸入自由化が行われたことは見逃せない事実でもあります。60年代までは木材自給率100%だったものが、今日では19%まで凋落してしまいました。

 これでは日本の国産材市場が没落することはあっても活性化することはまずありません。

 自給率の低い国は国際的な世渡り(処世術)の可否で、その存亡が問われることになります。元々足腰が脆弱だから、後は口(脳)と腕(技術)で勝負するしかありません。でも足腰が元々弱かったわけではありません。日本の国策によって、自力をみずからスポイルしてしまったのです。

 90年代に入って、国産材でも人工乾燥を積極的に推進する動きが生まれました。家の構造欠陥ではあっても、写真などを見ると、そこには腐った木や折れた木が目に飛び込んできます。そのとき海外の製品化された輸入材のほとんどが人工乾燥処理をされた商品が常識的に流通していました。

 もちろん生材も同時に流通していましたが、市場の要求は安心して使用できる乾燥材でした。国内でも乾燥材を要求する声は上がっていたのですが、如何せんこの乾燥機は一製材所が簡単に購入できるほど安いものではありません。資本力が乏しい産地には高嶺の代物でした。

 その間海外の産地で人工的に乾燥処理された外材が日増しに浸透していきました。

 実際に建築に使用する木は、絶対条件として「乾燥」していなければなりません。木のプロであるならば、下請であっても乾燥材を推奨することは常識中の常識でしょう。

 日本でも乾燥材は利用されていましたが、それはスローライフと同義でした。家はゆっくり造る。木はその長い期間の中で四季を通じてゆっくり乾燥していき、家に馴染んでいきました。

 しかし90年代の欠陥住宅を克服することを目的に、偏見に基づく間違った考え方が立法も含めて流布されるようになります。それが高耐久・高気密住宅でした。しかもそれが及ぶ範囲は金融公庫付きの住宅だけが対象という、何ともいい加減な制度です。

 そのため副作用ともいうべき重大な事件が発生しました。元々60年代後半から普及し始めた「新建材」と呼ばれる建材のほとんどは、接着剤を大量に使用した塩化ビニール製品であったため、「シックハウス」が確実に蔓延していくことになりました。

 話を戻しましょう。
 そこで助成金をつけて乾燥材の普及が始まりました。ひとつひとつの企業では資金が不足するために、産地では協同組合として購入して共同利用する方法が浸透していきました。

 乾燥機は木を人工的に乾燥させる設備です。目的自体は間違っていません。しかし木を乾燥させるために、熱源として石油を燃やしていました。また大量の電力も消費していました。
 はたしてこの人工乾燥は、本来CO2を取り込んで固定化した木を作るために、逆にCO2の発生源となっていいものでしょうか?

 製材所では大量の木屑が出されるため、そのゴミとしての木屑を燃やして人工乾燥の熱源にする動きが見られますが、浸透しているとはとてもいえません。

 木のエネルギーとしての利用率は、東南アジアや中東、南米では50~60%で、欧米でも20%以上です。日本では、この森林大国である日本では、何と2%という統計が出ています。

 自然の産物である木を利用して、家を建て、熱源として利用することは、一方でCO2を固定化し、他方では元々地球上に存在していたCO2を再び地球上に戻す=還元することですから、地球温暖化の原因にはなりえません。

 化石燃料や化学燃料のほとんどは、人工的なCO2を増産排出しますが、木を利用することは大きな意味で地球自然を慈しむことにつながると思います。

 日本は衣食住に関する資源を、国内でも十分に賄えることが分かっていても、政策的に海外への依存度を高めています。食料自給率も40%を切りました。

 ドイツなどの欧米では、木材自給率は100%、食料自給率も80%以上です。そこには先を見越して、優柔不断に流されることなく、自国の堅固な地盤作りが如何に重要であるか、国を挙げて実行しています。

 自給率が異常に低下したとき、日本が先祖がえりを起こし、海外に経済侵略を積極的に展開することにならないよう、私たちは今私たちの足元をしっかりと固めるようにしなければならないのではないでしょうか?

つづく

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by MUKUZAIKENKYU | 2008-09-05 07:01 | 木の家 国産材 無垢材

自然乾燥材と人工乾燥木材、そしてCO2削減 4

 1980年代後半までは、人工乾燥材は、国内の市場ではそれほど普及していませんでした。せいぜい天然乾燥(天乾)まででしたが、90年代に入って、いわゆる欠陥住宅問題が浮上してきました。
 
 欠陥住宅の原因のほとんどが手抜き工事でした。構造的な耐力を維持するために不可欠な部材を配置しなかった。最低限の大きさを下回る部材を使用したり、不必要な部材を水増ししたりと、施主の無知に付け込んだ悪質な確信犯が横行していました。

 その犯罪行為の摘発の結果、部材である木材にも?が注がれるようになります。

 木が腐る、木は燃える・・・この当たり前のことを、木を使用しない鉄骨プレハブ住宅メーカーやコンクリート住宅メーカーが必死でデマ宣伝を繰り返しました。

 木が腐る・・・この表現はもっと厳密にいえば、条件が悪ければ木も鉄もコンクリートも腐るということです。施工技術が未熟であれば、まともな完成品ができるわけがありません。さらにどんな耐久物であっても、定期的なメンテナンスを実行しなければ、劣化を防ぐことはできないということです。

 家や住まいは消費財ではありません。しかしながら日本の大多数の住宅メーカーは、目先の流行嗜好品のように住宅を販売しています。施主はいつの間にかオーナーという立場ありながら、まるでマーケットでお買い物をしている一消費者のように取り扱われています。

 これはメーカー側の巧妙な洗脳や誘導マーケティングの結果です。

 一方、木造住宅側では、内装や外観の意匠に走り、構造材である木の質には、全くといって良いほど無頓着でした。その結果、木は安く買い叩くだけの一マテリアルとして扱われたため、産地にお金が還流されない構造が出来上がってしまいました。そのため日本の木の産地では技術革新が大幅に遅れてしまったことは否めない事実でしょう。

 木の建築文化では、日本は世界の中で最も歴史のある国です。木の蓄積量ばかりではなく、匠(たくみとは、テレビで宣伝しているような設計士を指すのではなく、大工さんの代名詞です)の技術力、数々の木の伝統的な建築物は、日本が世界に誇れる文化です。

 つづく

http://www.h3.dion.ne.jp/~yamaiti/
by MUKUZAIKENKYU | 2008-09-03 09:00 | 木の家 国産材 無垢材