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日本の木は美しいけど、提供する者は美しいかな?

 木の販売を通して、これまで沢山のことを学びました。

 建築に携わる人々、建築家、ゼネコン、工務店、大工さん、その他の専門業者、また納材業者等々、いろんな人々と打合せや建築現場で接していて、尊敬に値する方がいれば、おととい来い!と言いたくなる下衆もいました。

 尊敬に値する人とは、共通して「無心」にして「一直線」、気はいつも落ち着いていて、ご自分の立ち位置と何をすべきかを得心していました。だから仰ることはすべて腑に落ちます。そして皆有機的に動くため、無駄がほとんど発生しません。

 一方、何でこんな奴が!と怒りたくなる輩にも共通しているものがあります。
 それはまず無知であること、それをいつもごまかして、他者のせいにする。俺は、俺がと我だけは3人前に強いけど、仕事は逃げ得。上には媚びへつらい、下には横柄千万で、現場では指導教育ではなく、恫喝と揚げ足取りばかり。
 そういう者に限って、俺は仕事ができる、周りはバカばかりだと思い込んでいる。

 どこの世界にもいるものですが、建築現場とは生き物です。それぞれがタイムリーに過不足なく仕事をしなければ、他の専門業者に迷惑をかけてしまいます。

 基本的には施主と直接契約している元請業者が全ての段取りを行います。それができなければ、またはしなければ、それはただのブローカーでしかありません。

 仕事の段取りが的確でスピーディであれば、コストは最低限に抑えることができますが、ほとんど他人任せで、その場の銭勘定ばかりするところは、コストは最大に膨れ上がるものです。

 でもそういった基本的なことさえ知らない「建築会社」が実際に多いのが、この業界です。それは建築会社にj限らず、建築に携わるすべての関連会社にもそのまま当てはまります。

 新築やリフォームをご計画中のユーザーさんの肝心要のお仕事は、依頼する先を時間をかけて十分に見極めることです。ここで間違えると、すべてがおかしくなってしまうでしょう。


 安岡正篤師の言葉:道徳とは人間の小欲をしりぞけて大欲を全うすることだ。欲を離れては道はない。ただ大志あって、コセコセした小欲に拘泥せぬだけだ。

 運というものは相に現れる。相が良くなれば運もまた良くなる。運を良くしようと思うならば、結局心を養わねばならなくなる。


 結局人間の社会は、どんなものであれ、すべて人間同士の関わり合いです。だから何はともあれ自分という人間を、一人の他者のように客観的に高めること(心を養うこと)ができなければ、世界は思う方向に変わることはないということでしょう。

 人を変えることはできないし、人が変わらないままで社会や制度を変えることは、更に不可能でしょう。自分をより高くあるいは神妙に変えることができれば、一挙に多くのことが変わり始めるのかもしれません。

 その究極の自分の変え方が、無心になること。目的に向かって行動するとき、また人との出会いのとき、どこまで自分を無にすることができるか、いらぬ心配やこだわりを捨てると、向こうから光が差し込んでくると、師は説かれているのだと思います。

 どこの建築会社に依頼するか、またその建築会社自身が運を良くする素地を持っているのといないのとでは、出来上がる建物の質に決定的な開きが生まれるのだと、実感とともに納得できます。
by MUKUZAIKENKYU | 2008-11-17 11:26

人の創った神様

人の創った神様がいます。

貧乏神・・・疫病神・・・死神

人が作る神様は苦労や努力の必要がありません

貧乏神は、今やらなければならないことをしない。身の丈以上の生活を求める。お金が手に入ったら、すぐにモノにかえる。何でも他人に依存する。そして決して感謝しないこと。

そのときはお金があっても、悪銭身につかず。自らまた他人からむしりとられること間違いなし。

疫病神は、自分の境遇を他人のせいにすることが一番。人の財産を当てにして、恨みつらみだけは人一倍持つこと。一旦取り付いたら、「おまえのせいでこうなった」とわめき続けること。

疫病神は貧乏神が生長した姿です。

そして、死神。

死神は他人の財産だけでなく、心までも自分のものと思い込むと成就できます。全部自分ひとりで食べつくし、悪臭放つ糞だけを製造します。

この成長する神様は、どこの家庭や会社にも潜在しています。きっかけを与えれば、すぐに生長を始めます。

彼らの大敵は、感謝心と愛情です。努力や辛抱忍耐という言葉を忌み嫌います。

彼らはまるで雑草のように、ちょっと油断すると、どこからでも芽を出そうとします。放っておくと、あちこちに疫病神や死神を生長させます。

疫病神や死神に生長すると、ちょっとやそっとのことでは出て行かなくなります。退治するには、それまで放っておいたツケまで払わされることになります。

だから貧乏神の段階で、根こそぎ退治しなくてはなりません。

退治するには武器が必要です。その武器を手に入れるために努力する必要はありません。

自分の中にある良心を目覚めさせれば、次々と新品の武器を手に入れることができます。

それら悪神三兄弟がもっとも嫌うものを使えばいいはずです。

目の前の階段を一歩一歩登っていくこと、休むことなく、他人の階段の方が楽に見えることもありますが、皆同じように思っていますから心配要りません。彼らはそのように思わせることで、魔の手を出してきます。

彼らの餌は、怠慢であり、傲慢であり、人を憎めば、彼らは喜んで集まってきます。

生きて、活かされてある今の命に感謝する心があれば、悪神が寄り添ってくることはありません。

どうかな?
by MUKUZAIKENKYU | 2008-11-10 07:00 | 木 無垢材 自然

魂がこもった言葉は・・・

魂のこもった言葉には、自ら発する求心力があるようです。

私はその言葉に出会うと、その言葉の持つ大きな宇宙空間に心が飛び込んでしまったようなイリュージョンではない実感を覚えます。

そのとき心は、やはり心臓で感じています。

そしてこれまでの人生を一気に遡及してしまいます。それからジワーッと感慨が湧いてきて、誰に向けるわけでもなく、感謝の念が全身からオーラのように広がっていきます。


文化と文明:
『文化とは民族の創造力をいい、文明とはその施設外観をいう。文明が文化の重荷になってくると、その文明は永遠の生命から云えば危険だといわねばならぬ。』(安岡正篤師の言葉)


私は生れ落ちたときから木の世界にいましたが、一時期は全く違う世界で生きつつ、紆余曲折の果てに、再び木の世界に戻ってきました。

木の話はいつもしていますが、今日はその背景となる意志について、です。

木の世界とは別に、人との関係の中で多くの出会いと別れを経験することは、生きていれば誰でも同様に味わうことです。

上記の安岡氏の言葉は、最近私が心の中で言葉にならず、何かしらムカムカしていたことでした。

儲け意識が先行しては、仕事を全うすることはできません。お金を稼ぐことは大切ですが、それ自体が目的化してしまっては、自分の立つ位置を見失うことに直結します。

でも仕事を通して正当なお金を必要な分だけ稼ぐことは、自分ではなく、家族や友人、取引先に迷惑をかけないこと、縁を活かすためにも、絶対不可欠な要素です。

良くも悪しくもお金は、人類が作った資本主義社会ではすべてに貫通する共通価値としてのひとつの文明でもあるでしょう。

しかしそのお金を必要以上に礼賛したり、また逆に蔑視することも大きな錯誤錯覚だと思います。

お金は人間生活の僕でしかありません。お金で暮らしを造ることはできますが、暮らしでお金を作ることはできません。

経済価値だけを物差しにすると、約20年前の日本や今の米国のような結果を招き寄せることは間違いありません。

私たちが求めて止まないことは、人間同士の豊かな関係です。それが築き上げるのが、伝統ともなり、また同時に先取となる文化ではないでしょうか?

木の家と称して、ただの既製品ばかりを使用する無頓着さ。美辞麗句の宣伝文句の裏にある陳腐な「家」という事実。・・・文化のないステロタイプな家が集まると、どんな新築でも色褪せたガラクタに見えてしまいます。
by MUKUZAIKENKYU | 2008-11-03 12:00 | 木 無垢材 自然